別冊『中世歴史めぐりyoritomo-japan』




okadoのブログは、『中世歴史めぐりyoritomo-japan』の別冊。
京都・奈良・平泉・鎌倉などの寺社・歴史・人物・伝説・文化・自然・花などの情報をお伝えします。


2024年1月6日土曜日

安倍晴明が登場する清浄華院の『泣不動縁起』




清浄華院は、比叡山の円仁が開創し、法然が浄土宗に改宗したと伝えられ、紫式部の邸跡とされる蘆山寺の北にある寺院。

重要文化財の『泣不動縁起』は、

三井寺の智興という僧が病気となり、安倍晴明の占いによって、弟子の証空が身代わりとなるが・・・

証空が信仰していた不動明王が救ってくれた」

という物語。

📎安倍晴明の占いと師弟を救った三井寺の泣不動













☆ ☆ ☆ ☆ ☆


紫式部


源氏物語

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紫式部と越前国


紫式部の越前下向


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2024年1月5日金曜日

一条戻橋~安倍晴明が式神を隠しておいた橋~




この橋の名は一条戻橋

伝説によると・・・

三善清行の八男・浄蔵貴所は、熊野での修行の帰りにこの橋で父の葬列に出会います。

浄蔵が祈ると清行が蘇生。

以来、この橋は「死者が蘇る橋」(あの世から戻る橋)=「戻り橋」と呼ばれるようになったのだといいます。

陰陽師・安倍晴明の父保名も晴明の呪法によって蘇生したのだとか。


晴明神社
式神


式神は、安倍晴明が術を施して自在に操ったのだという十二体の人形。

用のない時には式神を戻橋に置いた石櫃に閉じ込めておいたのだととか。


紫式部『源氏物語』~葵の巻~で、主人公の光源氏の正室・葵の上と愛人・六条御息所賀茂祭で車争いを繰り広げたのは、一条戻橋付近らしい。











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紫式部の父と母





紫式部の父藤原為時は、菅原文時(菅原道真の孫)に師事し、大学寮では紀伝道を専攻。

和歌・漢学・漢詩に秀でた当代有数の文章生(文人)でした。

ただ六位以下の下級官人。

五位までが貴族と呼ばれる階級で、その格差は大きいものがありました。

そのため、紫式部も不安定な暮らしの中で育ったようです。

為時が貴族となるのは996年(長徳2年)に越前守となったとき。

為時の最終位階は正五位。



紫式部の母は藤原為信の娘。

名が不明のため、藤原為信女と呼ばれています。

紫式部が幼い頃に亡くなってしまったようですが、

父・為信の兄弟・為雅の妻の姉妹には『蜻蛉日記』の作者・藤原道綱母や『更級日記』の作者・菅原孝標女の母がいたり、兄弟の理能の妻は『枕草子』の作者・清少納言の姉妹だったようです。


紫式部は下級官人の家に生まれましたが、父方の家筋も母方の家筋も文才に溢れる者が多かった・・・










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2024年1月4日木曜日

紫式部の漢詩の才能


『紫式部日記』によると・・・

子どもの頃、弟の藤原惟規が漢詩を読んでいるときに、紫式部もそばで聞き習っていたのだそうです。

惟規は覚えるのも遅く、忘れてしまったりしていましたが、紫式部は不思議なくらいに早く理解していたようです。

そのため、父の藤原為時は、

「この子が男でなかったことは、幸せがなかった」

と嘆いていたのだとか。


漢学・漢詩に秀でていた為時は、のちに越前守になりますが、一条天皇に漢詩を送って実現したという逸話があります。

📎一条天皇に漢詩を奏上して越前守となった藤原為時


また、中宮・藤原彰子に仕えることとなる紫式部は、一条天皇から漢学の知識を評価されています。

📎中宮彰子に新楽府を進講する紫式部








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