源頼朝が創った武家政権の都「鎌倉」の歴史を中心に、関係地の伝説・文化や自然・寺社の花などの情報をお伝えします。
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別冊『中世歴史めぐりyoritomo-japan』
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『中世歴史めぐりyoritomo-japan』
の別冊。
京都・奈良・平泉・鎌倉などの寺社・歴史・人物・伝説・文化・自然・花などの情報をお伝えします。
2023年12月11日月曜日
時雨亭で燃え落ちる大坂城を見ていたという高台院(寧々)
時雨亭
京都の
高台寺
にある時雨亭は、
伏見城
から移築された茶室。
高台院(北政所・寧々)は、時雨亭の二階から燃え落ちる
大坂城
の天守を見つめていたのだといいます。
高台寺
高台寺
は、豊臣秀吉の正室・高台院(北政所・寧々)が秀吉の冥福を祈るため建立した寺院。
建立にあたっては
徳川家康
も支援したのだとか。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
2023年12月9日土曜日
新造の舟を検分する藤原道長
1008年(寛弘5年)10月16日、
一条天皇
が
土御門邸
に行幸する当日、
藤原道長
は新造の二艘の竜頭鷁首(りょうとうげきす)の舟を池辺に漕ぎ寄せて検分。
この年の9月11日、
一条天皇
の中宮・
藤原彰子
は
土御門邸
で敦成親王を出産。
10月16日、
土御門邸
に行幸した
一条天皇
は敦成親王と対面した。
紫きぶ七橋
は、
紫式部
が暮らした
越前武生
を流れる河濯川に架かる七つの橋。
高欄に『紫式部日記絵巻』や『源氏物語絵巻』の一場面がレリーフとしてはめこまれている。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
五十日の祝いで皇子に餅を含ませる藤原道長
1008年(寛弘5年)11月1日、
藤原道長
の
土御門邸
では、
一条天皇
の第二皇子・敦成親王(のちの
後一条天皇
)の「五十日の祝い」が行われた。
禁色の着用を許された少輔の乳母が親王を抱き、御帳台の内で裳唐衣を着た北の方・
源倫子
が抱きとった。
中宮・
藤原彰子
は、葡萄染めの五重襲の袿に蘇芳の御小袿を着ている。
そして、
道長
が餅(もちい)を供した。
紫きぶ七橋
は、
紫式部
が暮らした
越前武生
を流れる河濯川に架かる七つの橋。
高欄に『紫式部日記絵巻』や『源氏物語絵巻』の一場面がレリーフとしてはめこまれている。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
2023年12月7日木曜日
五十日の祝いで藤原道長から歌を求められた紫式部
1008年(寛弘5年)11月1日、
藤原道長
の
土御門邸
では、
一条天皇
の第二皇子・敦成親王(のちの
後一条天皇
)の「五十日の祝い」が行われた。
道長の酔態ぶりを見た
紫式部
と
宰相の君
は、夜の酒宴後、御帳の後ろに隠れたのだが、道長に見つかり「和歌を一首詠めば許そう」と言われる。
紫式部が詠んだ歌が
「いかにいかが 数へやるべき 八千歳の あまり久しき 君が御代をば」
道長の返歌は
「あしたづの よはひしあらば 君が代の 千歳の数も 数へとりてむ」
紫きぶ七橋
は、
紫式部
が暮らした
越前武生
を流れる河濯川に架かる七つの橋。
高欄に『紫式部日記絵巻』や『源氏物語絵巻』の一場面がレリーフとしてはめこまれている。
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