別冊『中世歴史めぐりyoritomo-japan』




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ラベル 鎌倉の霊場巡礼 の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示
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2017年10月26日木曜日

藤沢:慈眼寺~鎌倉郡三十三観音の札所~


慈眼寺玉縄城主・北条綱成の創建。


本尊の十一面観音は、江戸時代に成立した鎌倉郡三十三箇所の三十三番でした。

混生樹



 慈眼寺


現在の鎌倉三十三箇所
 鎌倉三十三箇所




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2012年1月27日金曜日

杉本寺の十一面観音

金沢街道から見上げる石段の上にある杉本寺は、源頼朝が鎌倉に武家の都を創る前の734年(天平6年)創建という古い寺です。

鎌倉で一番古い寺といわれています。


仁王門
安置されている仁王像は運慶作といわれています。





仁王門の先の苔の石段の上に十一面観音を祀った観音堂があります。


苔の石段

観音堂

731年(天平3年)、東国の旅をしていた行基が、この場所に十一面観音を安置したのが杉本寺のはじまりです。

本尊は、行基作の十一面観音、851年(仁寿元年)の慈覚作という十一面観音、寛和年間(985~987年)に花山天皇の発願によって恵心が彫ったという十一面観音の三体です。


~「杉の本の観音」伝説~

ある日、寺の本堂が火事により焼失しますが、観音さまは自力で大杉のもとに避難したと伝えられ、「杉の本の観音」と呼ばれるようになったといいます。

(参考:伝説の観音さまと四万六千日詣り


~下馬観音と覆面観音~

行基作の観音さまは、寺の前を馬に乗ったまま通ると必ず落馬するので「下馬観音」と呼ばれていました。

大覚禅師(蘭渓道隆)が祈願して収まったようですが、その際に、袈裟で観音さまを覆ったことから「覆面観音」とも呼ばれたそうです。

(参考:伝説の観音さまと四万六千日詣り


観音霊場
杉本寺は、板東観音巡礼と鎌倉観音巡礼の一番札所。



六地蔵と身代地蔵
杉本寺の背後には杉本城がありました。
六地蔵の横の身代地蔵は、
杉本義宗の代わりに矢に当たって、血を流したというお地蔵さまです。

鐘楼


白山・熊野大権現



大蔵弁財天







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2012年1月26日木曜日

土紋が施された如意輪観音・・・西御門:来迎寺

西御門来迎寺は、1293年(正応6年)の鎌倉大地震で亡くなった村人の菩提を弔うために建てられたという時宗の寺です。

開山は、一向とも一遍ともいわれていますが定かではありません。

本堂に安置されている「如意輪観音」は、鎌倉地方独特の装飾技法「土紋」が施されたもので、神奈川県の重要文化財に指定されています。


木造彩色 如意輪観音半跏像
(南北朝時代 寄木造)


もとは、源頼朝法華堂に安置されていた像です。

『吾妻鑑』には、「北条政子が如意輪観音を念持仏としていた」という記録があることから、この像が政子の念持仏として信じられてきました。

しかし、その様式からは、南北朝時代の作と考えられますので、「政子の念持仏」という説はないということになります。


この如意輪観音には次のような伝説があります。


その昔、「由比の長者」と呼ばれた長者がいました。

長者には、可愛がっていた娘がいました。

ある日、娘が由比ヶ浜で遊んでいると大鷲が舞い降りてきて娘をさらっていってしまいます。

知らせを聞いた長者は、八方手を尽くして探しますが・・・

見つかったのは娘の遺体でした。

長者は娘の供養のため、観音様の胎内に遺骨を納めたと伝えられています。


※その遺骨は箱に収められて来迎寺に保管されているそうです。


来迎寺
かつて西御門には・・・
太平寺、報恩寺、保寿院など7つの寺があったといいます。
しかし、現在残っているのは来迎寺のみです。




※来迎寺の如意輪観音は、鎌倉観音巡礼の第五番札所です。


鎌倉手帳
http://www8.plala.or.jp/bosatsu/kamakura.html

2012年1月22日日曜日

北鎌倉:圓應寺の詫言地蔵

死後に出会う十王を祀っている圓應寺

堂内には十王像と一緒に鎌倉二十四地蔵の一つ「詫言地蔵」(わびごとじぞう)が安置されています。


詫言地蔵


この「詫言地蔵」にお参りすると・・・

「お地蔵様が本人に代わって閻魔大王にお詫びしてくださり、閻魔大王のお許しを得ることができる」

といわれています。


閻魔大王

人々が犯してしまったあやまちは、「閻魔大王」に懺悔すれば許してもらえるのだとか・・・。


円応寺


鎌倉二十四地蔵



鎌倉手帳


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土紋が施された聖観音~北鎌倉:東慶寺~

東慶寺の松ヶ岡宝蔵に保管されている「木造聖観音菩薩立像」は、鎌倉地方独特の「土紋装飾」が施されています(重要文化財)。

鎌倉時代の作で寄木造。

宋風が認められる仏像です。


 東慶寺聖観音像


☆ ☆ ☆ ☆ ☆


1556年(弘治2年)、里見義弘が鎌倉に攻め入ります。

その際、鎌倉尼五山第一位だった太平寺の住職青岳尼が、里見義弘と安房に渡ってしまったため太平寺は廃寺となりました。

青岳尼は、鎌倉を離れるときに聖観音像を持ち去りますが、青岳尼の妹で東慶寺の住職だった旭山尼が鎌倉に戻したのだといいます。

それが東慶寺の聖観音立像だと伝えられています。


松ヶ岡宝蔵


東慶寺の聖観音は、鎌倉観音巡礼の第三十二番です。

 鎌倉観音三十三箇所


 東慶寺


 鎌倉手帳


2012年1月21日土曜日

鎌倉観音巡礼その3・・・二十四番から三十三番

鎌倉観音巡礼の三十三ヶ所の札所のご紹介(二十四番から三十三番)。



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二十四番:壽福寺
十一面観音

二十五番:浄光明寺
千手観音


二十六番:海蔵寺
十一面観音

二十七番:妙高院
聖観音

海蔵寺の十一面観音には、源頼朝を暗殺しようとした平景清の伝説があります。
(参考:源頼朝暗殺計画!


二十八番:建長寺
千手観音

二十九番:隆峰院
聖観音


三十番:明月院
如意輪観音

三十一番:浄智寺
聖観音


三十二番:東慶寺
聖観音

三十三番:佛日庵
十一面観音

東慶寺の聖観音は土紋装飾の施された仏像。

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鎌倉観音巡礼三十三ヶ所
http://www8.plala.or.jp/bosatsu/page134.html
鎌倉手帳
http://www8.plala.or.jp/bosatsu/kamakura.html

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