『吾妻鏡』によると、伊豆国で流人生活を送っていた頃の源頼朝は、毎月18の観音菩薩の縁日に「放生」を行っていたそうです。
「放生」とは、仏教の殺生を禁じる思想に基づくもので、魚や鳥などを山野に放ち、善根(よい報いを招くもととなる行為)を施すこと。
頼朝は幼い頃に京都の清水寺から賜った二寸銀の聖観音像を守り本尊としていました。
1159年(平治元年)に平治の乱で平清盛に敗れ、死罪となるところを池禅尼の懇願により命を助けられて伊豆国流罪となった頼朝は・・・
観音菩薩の縁日に捕らえられた生き物を放ち、「かつて自分の命が救われたことへの感謝」と「源氏再興」を祈っていたのかもしれません。
1180年(治承4年)8月17日、頼朝は源氏再興の挙兵を果たしますが、1185年(元暦2年)に壇ノ浦の戦いで平家を滅ぼすと、治承4年の挙兵の成功を祈願した三嶋大社の神池で感謝の意を込めた放生会を行わせています。
その2年後の1187年(文治3年)には、鎌倉武家政権の求心力を高めるための放生会を鶴岡八幡宮で盛大に催しています。
この2つの放生会は、現在の例大祭に引き継がれています。









