函南町の「かんなみ仏の里美術館」に所蔵されている阿弥陀三尊像(阿弥陀如来及両脇侍像)は、慶派仏師・実慶の作。
北条時政が石橋山の戦いで討死した長男・宗時の慰霊のために造立させたものと考えられています。
阿弥陀如来の首枘(くびほぞ)の裏には「大仏師實慶」の墨書があるらしい。
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『吾妻鏡』によると・・・
1180年(治承4年)8月24日、石橋山の戦いでの敗北後、時政と次男の義時は箱根の湯坂道を経て甲斐国へ向かおうとし、宗時は土肥から桑原(函南町)を経て平井郷(函南町)へ向かおうとしたようですが・・・
宗時は平井郷を目の前にして伊東祐親軍に討たれてしまったようです。
函南町には北条宗時の墓と伝えれる塔が残されています。
『吾妻鏡』によると、1202年(建仁2年)6月1日、北条時政は夢のお告げによって伊豆国へ下向し、宗時の墳墓堂で追善供養を行っているようです。
阿弥陀三尊像もこの頃に造立されたのかもしれません(「かんなみ仏の里美術館」の説明では建久年間(1190~1198年)の末頃とされています。)。
時政といえば、願成就院の造仏を運慶に依頼したことで知られていますが・・・
このころの運慶は東大寺の大仏殿の造仏に携わり、1203年(建仁3年)には南大門に快慶らとともに造立した金剛力士像が安置されています。
実慶は、運慶が1183年(寿永2年)に完成させた「運慶願経」に名を連ねている慶派の有力仏師。
運慶や快慶が南都復興の造仏に携わっている間、実慶は東国での仏像需要に応じた活動をしていたようです。
1210年(承元4年)には、修禅寺の大日如来像を造立しています。
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