太田道灌は、扇谷上杉家の家宰として仕え、江戸城や河越城を築いたことで知られている戦国武将。
上杉家の隆盛に貢献しますが・・・
1486年(文明18年)7月26日、道灌の才能を恐れた主君上杉定正は、道灌を糟屋館に誘き出して謀殺。
その時、道灌は「当方滅亡」と言い残したのだとか。
自分が死ねば扇谷に未来はないという予言だったのだそうです。
やがて、山内上杉家と扇谷上杉家が、関東の覇権をかけて内紛を起こし勢力を衰退させると、関東は韮山城を拠点に小田原城を奪取した北条早雲に攻めらることとなります。
そして、1546年(天文15年)の河越夜戦で扇谷上杉家は滅亡します。
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伊勢原市の観光イベント「道灌まつり」の初日、道灌の墓がある洞昌院と大慈寺では「太田道灌公墓前祭」が執り行われます。
(洞昌院)
洞昌院は道灌が開基の寺。
暗殺された道灌は、洞昌院で荼毘に付され、胴は洞昌院に、首は大慈寺に葬られたのだといいます。
(大慈寺)
大慈寺は、鎌倉の建長寺の末寺として建てられた寺で、道灌が叔父で建長寺長老の周厳を中興開山として鎌倉から伊勢原に移したのだと伝えられています。
太田道灌公墓前祭
(洞昌院・大慈寺)
10月4日(土)
10:00~10:45
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