別冊『中世歴史めぐりyoritomo-japan』
2025年9月15日月曜日
供養の場から祈りの空間へ~運慶が魂を込めた七体の仏像~
1180年(治承4年)、平重衡の南都焼討によって焼失した興福寺。
北円堂は、それから30年後に再建された。
復興造仏を担当したのは運慶。
1212年(建暦2年)、運慶一門が造立したのは、弥勒如来及び両脇侍像、四天王像、無著・世親像だった。
この内、北円堂に残されているのは弥勒如来と無著・世親像。
両脇侍像は失われたが、四天王像は中金堂のものが運慶一門によるものと考えられている。
北円堂は興福寺を創建した藤原不比等の一周忌に創建された仏堂。
供養のための仏堂だが、運慶の諸像は「祈りの空間」へと変えた。
弥勒如来は、釈迦の入滅から56億7千万年後に現れるという未来の仏。
無著(むじゃく)・世親(せしん)は、本来の僧侶の姿を現したもの。
四天王(持国天・増長天・広目天・多聞天)は東・南・西・北の守護神。
東京国立博物館で開催されている「運慶 祈りの空間」では七体の仏像が勢揃い!