相州江之嶋
弁才天開帳参詣群集之図
歌川広重の「相州江之嶋弁才天開帳参詣群集之図」には、江の島参詣に向かう四組の女講中が砂洲(トンボロ)を渡って行く様子が描かれています。
江の島は、源頼朝が弁財天を勧請して以来、弁財天の島として信仰されてきました。
近江の竹生島弁財天、安芸の厳島弁財天、そして江の島弁財天は日本三大弁財天に数えられています。
江戸後期になると、江戸から近いこともあって、江の島詣が人気を集め、特に6年に一度の開帳(巳年と亥年)の時には多くの参詣人で賑ったとのだとか。
江の島の入口に建てられた青銅鳥居には、吉原の花魁(おいらん)・代々山の名も刻まれています。
初夏から夏にかけての江の島には、弁天橋を渡らずに江の島へ上陸できるトンボロ(陸繋砂州)が出現します。
トンボロを歩いて江の島上陸をするとデジタル版「トンボロ記念証」を受け取れます。
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