995年(長徳元年)4月10日、関白・藤原道隆が死去。
4月27日、道隆の弟・道兼が関白に就任しますが、5月8日に死去。
弟の道長を特別扱いしていた東三条院(藤原詮子)は、関白を次兄の道兼から弟道長の順で引き継がせようとしたのだとか。
『大鏡』によると・・・
一条天皇は道隆の娘で皇后の定子を寵愛。
定子の兄・伊周も一条天皇の御意を得ていました。
そのため、一条天皇は道長が関白となることを渋っていました。
東三条院は・・・
一条天皇の寝所に入って、渋る一条天皇を泣いて説得したのだといいます。
ただ、道長が受けのは、関白の宣旨ではなく「内覧の宣旨」。
御堂関白と称される道長ですが、道長が関白となったことはありません。
📎関白にならなかった藤原道長~内覧と摂政と関白~
☆ ☆ ☆ ☆ ☆