河内源氏の源義国を祖とする新田氏は、新田義重から始まる源氏の名門。
新田義貞は新田氏本宗家の八代目棟梁。
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(太田市)
1333年(元弘3年)5月8日、後醍醐天皇の倒幕の綸旨を受けた義貞は、生品神社で挙兵。
『太平記』によると・・・
義貞は倒幕のための兵を挙げたいが、勅命を得なければどうにもならない。
そこで義貞は、正成と呼応して吉野山を本拠として挙兵した護良親王の令旨を得ようと考えた。
執事の船田義昌が護良親王の下へ赴き持ち帰ってくるのだが・・・
それは、令旨ではなく後醍醐天皇の綸旨だったのだとか。
吉野山は、鎌倉幕府討幕運動(元弘の変)で、護良親王(後醍醐天皇の皇子)が一時拠点とした地。
後に鎌倉宮に祀られる村上義光は、吉野城の戦いで護良親王の身代わりとなって自害しました。
鎌倉に攻め込んだ義貞は、5月22日、鎌倉幕府を亡ぼします。