遍昭(良岑宗貞)は、花山天皇が出家した元慶寺を建立し、紫式部が生まれた紫野の雲林院の別当を兼ねた僧。
歌人として知られる遍昭は五節の舞姫を見て
「あまつ風雲の通ひ路吹きとぢよをとめの姿しばしとどめむ」
と詠んでいます。
五節の舞姫たちが天女のように美しく、もっと見ていたいという思いから詠んだ歌のようです。
元慶寺は、868年(貞観10年)、藤原高子の発願により遍昭が開いた寺院。
986年( 寛和2年)6月23日、藤原兼家・道兼父子の謀により花山天皇が出家した寺でもあります(寛和の変)。
雲林院は淳和天皇の離宮・紫野院として造営されたのが始まり。
現在は大徳寺の境外塔頭となっていますが、大徳寺は衰退してしまった雲林院の敷地内に建てられた寺です。
雲林院のある地は「紫野」。
『源氏物語』の作者・紫式部は紫野で生まれ育ったのだとか。
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