方広寺は、1595年(文禄4年)、豊臣秀吉が造立した
東大寺の大仏に代わる大仏を安置するために建てられた寺。
大仏は木造で
東大寺の大仏より高いものだったが、慶長大地震で大破。
1612年(慶長17年)、豊臣秀頼によって二代目の大仏が鋳造されるが、1662年(寛文2年)の寛文近江・若狭地震により損壊。
その後も三代目・四代目の大仏が造立されたが焼失。
現在は本堂・大黒天堂・大鐘楼が残されている。
梵鐘は、豊臣秀頼が1614年(慶長19年)に鋳造させたものだが・・・
徳川家康は、銘文中の「国家安康」には「家康の名を2つに分断」し、「君臣豊楽」には「豊臣を君主として楽しむ」という下心が隠されていて、徳川家に対する呪いが込められていると指摘。
この問題が大坂の陣へと繋がっていく。