1011年(寛弘8年)6月22日、一条院で崩御した一条天皇は、土葬を望んでいたようですが・・・
藤原道長は火葬してしまいます。
道長は一条天皇が生前に土葬を望んでいたことを忘れていたのだとか。
火葬された遺骨は、円成寺に安置され、金輪寺に埋葬する予定でしたが・・・
一条天皇の言葉を思い出したため・・・
そのまま円成寺に安置し、三年後に円融天皇の御陵あたりに埋葬することとなったのだといいます。
何故三年後なのか?
西方に大将軍があったため。
大将軍(金星の精)のいる所は万事にとって凶で、同じ方位に三年間留まるらしい。
そのため、三年塞がりの大将軍と呼ばれるのだとか。
参考までに、一条天皇より先に崩御した皇后の藤原定子は、鳥戸野陵に土葬されています。
もしかしたら一条天皇は、定子と同じように葬られたかったのかも。
一条天皇陵から眺め
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