元慶寺は、花山天皇が出家した寺。
そのため、花山寺とも呼ばれ、花山法皇が西国観音霊場三十三ヶ所の中興の祖とされることから番外札所となっている。
花山天皇は、984年(永観2年)に即位するが、翌年7月18日、寵愛していた女御の藤原忯子が死去すると、悲しみのあまりに出家を考えはじめる。
花山天皇に信任されていた藤原義懐と権勢を争っていた藤原兼家は、この機に、次女の詮子が産んだ懐仁親王を皇位につけるため画策。
蔵人として花山天皇に仕えていた三男・道兼に出家を勧めさせる。
そして、986年( 寛和2年)6月23日、道兼に連れられて内裏を抜け出した花山天皇は元慶寺で出家したのだという。
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