『紫式部日記』によると・・・
1008年(寛弘5年)9月11日正午、一条天皇の中宮・藤原彰子が土御門殿で第二皇子の敦成親王を出産。
皇子誕生五十日の祝宴が行われた11月1日・・・
藤原公任は紫式部に、
「あなかしこ このわたりに 若紫やさぶらふ」
(恐れ入りますが、このあたりに若紫の姫君はおいでかな・・・)
と語りかけますが・・・
※若紫とは光源氏の最愛の妻・紫の上のこと。
紫式部は、
「光源氏らしき人がいないので、紫の上がいるわけがない」
と無視したのだとか。
この日が文献上で『源氏物語』が初めて登場した日。
そのため11月1日は「古典の日」に制定されています。
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