別冊『中世歴史めぐりyoritomo-japan』




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2022年11月2日水曜日

園城寺を復興させた源実朝


園城寺


『吾妻鏡』によると、園城寺と源氏の関係は・・・

源頼義の子・快誉は開山の智証大師円珍の弟子。

三男の義光は鎮守の新羅明神で元服。

嫡男の義家は行観に帰依。

娘の目が見えなくなったときに行観が加持祈祷を行うと、たちまちに治ったたため、義家は行観を三度も拝み、子孫を長く行観の弟子たちに帰依させることにしたのだとか。

源頼朝は二つの荘園を寄付。

鎌倉に建立した鶴岡八幡宮寺の初代別当は円暁。

勝長寿院永福寺の供養の導師は公顕に頼んでいます。


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そんな園城寺が、1214年(建保2年)4月15日、比叡山の衆徒に放火され、灰燼に帰してしまいました。

事の発端は、前日の日吉大社の祭で大津の下人達が唐崎神社の供物が少ないと攻められた際、小浜の相撲清四郎が船上から役人に矢を放ったこと。

翌朝、役人が事件の張本を捕らえるため大津に向かいますが、喧嘩となってしまいます。

役人が逃げ帰ろうとするところへ園城寺の僧兵が駆け付けて戦いになると、比叡山の僧兵が駆け付けてきて火を放ったのだそうです。


5月7日、源実朝は燃えてしまった園城寺の再建を決定。

大内惟義・宇都宮頼綱・佐々木広綱などが再建を命じられました。



園城寺


源実朝



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