別冊『中世歴史めぐりyoritomo-japan』




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2022年8月15日月曜日

比企能員の変~『吾妻鏡』と『愚管抄』~


『吾妻鏡』によると・・・

1203年(建仁3年)8月27日、病床にあった二代将軍源頼家の容態が悪化したため、以下の譲与が発表されます。

関西38ヶ国の地頭職を弟の千幡(のちの実朝

関東28ヶ国の地頭職と総守護職を長子一幡

この決定に一幡の祖父比企能員が憤慨し、千幡の乳母夫の北条氏を滅ぼそうと考えた・・・

ということのようですが、


慈円の『愚管抄』によると・・・

源頼家は、大江広元の屋敷で倒れ、そのまま広元邸で病の床に就きます。

8月末日には自ら出家して、家督を一幡に譲ることを決めていたのだといいます。

それでは困る北条時政比企能員を討つことにした・・・

ということのようです。


☆ ☆ ☆ ☆ ☆


おそらく・・・

『愚管抄』の記述の方が真実に近いのかもしれません。

だとすると、比企能員は一幡が跡継ぎに決まっているので、焦る必要はありません。

一方の北条時政は、形勢を逆転するために急を要します。

そして、頼家が出家した翌々日には比企能員を暗殺し、比企一族を滅ぼしました。

能員の油断を突いたということなのかもしれません。


近衛家実の『猪熊関白記』や藤原定家の『明月記』には・・・

「朝廷は、将軍頼家が9月1日に死去したため、弟に継がせたいという幕府の申請をうけ、9月7日、弟を征夷大将軍に任命し、実朝の名を与えた」

ということが記されているようです。

この内容からすると、時政政子義時は「頼家は死ぬ」と決めつけていたようです。

そうでなければ、時政の行動を政子が許すとは思えません・・・








北条時政

比企能員

北条政子


比企氏の乱








☆ ☆ ☆ ☆ ☆

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