『吾妻鏡』によると・・・
1199年(正治元年)に起こった梶原景時の鎌倉追放で、中心として動いたのは三浦義村。
10月27日、景時の讒言によって謀反を疑われた結城朝光の相談を受けた義村は、和田義盛・安達盛長らを集めます。
そして、景時に恨みを抱いていたという中原仲業に訴状を起草を依頼しました。
仲業は、中原親能の家人だったといわれ、源頼朝の上洛をきっかけに下向したのだと考えられているようです。
翌28日、鶴岡八幡宮の回廊には
千葉常胤・三浦義澄・千葉胤正・三浦義村・畠山重忠・小山朝政・結城朝光・足立遠元・和田義盛・和田常盛・比企能員・伊賀朝光・二階堂行光・葛西清重・八田知重・波多野忠綱・大井実久・若狭忠季・渋谷高重・山内経俊・宇都宮頼綱・榛谷重朝・安達盛長・佐々木盛綱・稲毛重成・安達景盛・岡崎義実・土屋義清・東重胤・土肥維平・河野通信・曽我祐綱・二宮友平・長江明義・毛呂季綱・天野遠景・工藤行光・中原仲業らが集結。
仲業が訴状を読み上げると、66名が署名。
訴状には
「鶏を養(か)う者は狸を畜(やしな)わず、獣を牧(か)う者は豺(やまいぬ)を育(やしな)わず」
とあったのだとか・・・。
訴状は、和田義盛と三浦義村が大江広元に託しています。
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2022年の大河ドラマ