別冊『中世歴史めぐりyoritomo-japan』




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2021年11月20日土曜日

北条時政のもとに逃げ込んだ源頼朝




『曽我物語』によると・・・

伊東で暮らしていた流人源頼朝は、監視役の伊東祐親が大番役で在京中に、その娘八重姫と結ばれ男児を授かります。

千鶴丸と名付けて大切に育て、成人したら平家打倒の挙兵を考えていたようですが・・・

千鶴丸が三歳の時に祐親が大番役の任を終えて帰ってきます。

自分の娘が頼朝と結ばれ子までもうけたことを知った祐親は、平家から咎めを受けることを恐れて千鶴丸を殺害してしまいます。

そして、将来敵となるかもしれない頼朝も夜討ちすることにします。

ただ、夜討ちの計画は祐親の次男祐清によって頼朝に知らせれます。

※祐清は頼朝の乳母比企尼の三女を妻としていました。


『吾妻鏡』によると・・・

祐親が頼朝を殺害しようとしたのは、1175年(安元元年)9月頃のこと。

祐清から知らせを受けた頼朝は、熱海の走湯権現(現在の伊豆山神社)に逃げ込んだのだといいます。

真名本『曽我物語』によると・・・

祐清から自分の烏帽子親である北条時政を頼るよう勧められ、安達盛長佐々木盛綱を残し、夜陰に紛れて伊東館を出たのだといいます。

『曽我物語』には、走湯権現に逃げ込んだことは記されていませんが、一時走湯権現に避難して北条館へ向かったのかもしれません。


明け方、頼朝が北条の地に到着すると・・・

北条時政は走り出て頼朝を迎え、涙を流します。

そして、子の義時の宿所を頼朝の居所としたそうです。

その居所は「東の小御所」と呼ばれ、祐親の攻撃に備えるため交代で守護したのだとか・・・



東の御所は蛭ヶ小島にあったのかも・・・



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