別冊『中世歴史めぐりyoritomo-japan』




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2021年8月18日水曜日

流鏑馬神事~甲斐源氏に伝えられた弓馬の礼~


弓馬の礼は、896年(寛平8年)、宇多天皇に命じられた源能有が制定。

能有は、これを貞純親王に伝えます。

そして、貞純親王の子で清和源氏の始祖六孫王経基に伝承され、清和源氏が相伝するようになったといわれています。

経基→満仲→頼信→頼義義家と相伝された弓馬の技術は、義家の弟義光によって甲斐の武田家・小笠原家に伝えられました。



武田流・流鏑馬


武田流流鏑馬は、武田信光を祖とする安芸武田家に伝えられた弓馬術。

信光は甲斐源氏5代当主。

父は武田氏初代の信義

源頼朝に仕えて活躍し、小笠原長清・海野幸氏・望月重隆とともに弓馬四天王と呼ばれました。

『吾妻鏡』によると

信光は、鶴岡八幡宮流鏑馬の起源となる1187年(文治3年)8月15日の放生会で射手に選ばれています。

1193年(建久4年)8月16日の流鏑馬では、弓馬四天王がそろって射手に選ばれました。

頼朝亡き後も活躍し、1221年(承久3年)の承久の乱では、東山道の大将軍として兵を率い、乱後には安芸国守護に任じられました。

※安芸国守護に任じられた時期には諸説あるようです。



小笠原流・流鏑馬


鶴岡八幡宮例大祭で奉納される小笠原流流鏑馬は、小笠原長清を祖とする小笠原家に伝えられた武家礼法。

長清は、高倉天皇の下で滝口武者として活躍した甲斐源氏・加賀美遠光の次男。

母は杉本義宗の娘(和田義盛の娘という説も。)。

妻は上総広常の娘。

甲斐国巨摩郡小笠原郷を相続し、高倉天皇から小笠原の姓を賜りました。



武田流流鏑馬

小笠原流流鏑馬


鶴岡八幡宮

鶴岡八幡宮例大祭







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鎌倉殿の13人


二代執権北条義時


頼朝は弓矢の達人だった・・・


義時は弓馬の達人だった・・・



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