別冊『中世歴史めぐりyoritomo-japan』




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2021年4月26日月曜日

北条政子の演説~慈光寺本『承久記』~


慈光寺本『承久記』によると・・・

後鳥羽上皇が武田信光小笠原長清小山朝政宇都宮頼綱・長沼宗政・足利義氏に北条義時追討の院宣を下したことを知った北条政子は、こう演説したのだといいます。


「皆よく聞きなさい。

私ほど若いころから物思いの絶えない者はいません。

姫御前(長女の大姫)・大将殿(源頼朝)・左衛門督殿(長男の頼家)・右大臣殿(次男の実朝)に先立たれ、四度もの辛い思いをしてきました。

今度、権大夫(弟の義時)が討たれることとなれば、五度目の悲しみを味わうことになってしまいます。

「女人五障」とはこの事なのでしょうか。

皆は、降る日も照る日も都での内裏大番を三年間務め、おおきな負担を強いられてきました。

それを右大臣殿(実朝)が朝廷と交渉して軽くしてくれました。

今、皆が京方について鎌倉を攻めることは、大将殿(頼朝)と右大臣殿(実朝)の御墓所を馬の蹄に蹴らせるようなもの。

御恩を受けた者がすることではありません。

私が深山に隠棲して、流す涙のを不憫とは思いませんか。

皆、京方につくか、鎌倉方につくか、有りのままに仰せられよ」


この演説で、武田信光が鎌倉に味方することを表明すると、意義を唱える者はなかったのだといいます。


その後、武田信光と小笠原長清は、東山道の大将軍として出陣。

そして、美濃国にある東大寺領に到達します。

長清が「娑婆世界は無常な所」と言うと、信光は「私は鎌倉が勝てば鎌倉につき、京方が勝てば京方につく」と答えたのだとか・・・

そこへ、北条時房からの手紙が二人に届きます。

その内容は、「大井戸の渡しと河合の渡しの渡河に成功したら美濃国・尾張国・甲斐国・信濃国・常陸国・下野国の六か国を与える」というもの。

二人は「そうであれば」ということで、信光が河合の渡しを、長清が大井戸の渡しの渡河を成功させたのだとか・・・







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