別冊『中世歴史めぐりyoritomo-japan』




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2022年5月8日日曜日

逆櫓の松~源義経と梶原景時の論争:屋島の戦い~




『平家物語』で知られている源義経梶原景時の逆櫓の論争。


1185年(元暦2年)2月、摂津国の渡辺党、熊野別当の湛増、伊予国の河野通信の水軍を味方につけた義経は、摂津国渡辺津に兵を集めた。

屋島の平家を攻めるため、渡辺津を出航するにあたり、景時と軍議を場を持った義経。

景時は「この度の戦いでは船に逆櫓をつけたい」と主張。

義経は「逆櫓とは何か?」と問う。

「馬は駆け引きが自由だが、船はそうはいかない。そこで船を後ろへも自由に漕ぎ進められるように、櫓を船の前部に取り付けたい」

と景時が説明すると義経は嘲笑いながら、

「はじめから逃げる事を考えては良い結果は得られない。義経の船にはそのようなものは不要。あなたの船には付けるがよろしい」

すると景時が、

「よき大将軍とは、進退を見極め、身の安全を考えながら、敵を滅ぼすもの。

前後もわきまえずに突進するのは猪武者と申す」

と述べると、義経は、

「猪だは鹿だか知らないが、戦はただ攻めに攻めて勝った方がよい」

と言い放ったのだとか・・・。


義経と景時の確執は、義経の没落へと繋がっていったと言われている。


ただ・・・

『吾妻鏡』2月14日の記述によると、源頼朝は当時周防国にいた源範頼に対して「土肥実平梶原景時と話し合って九州勢を味方にするように」と命じているので、景時は範頼と行動を共にしていたのかも・・・








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