別冊『中世歴史めぐりyoritomo-japan』




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2022年6月26日日曜日

大慈寺建立縁起~三善康信が源実朝に語った話と源頼朝の死~


『吾妻鏡』によると・・・

1212年(建暦2年)10月11日、源実朝は4月18日から建て始めた堂を見るために大倉郷へと出かけました。

その時、供をしていた三善康信が実朝に霊夢の話をします。


大慈寺跡碑

☆ ☆ ☆ ☆ ☆


1198年(建久9年)の12月頃に見た夢のことです。

頼朝様の供をして大倉山あたりに行きました。

そこに一人の老人がおりました。

その老人が言うには、

「この地は、清和天皇の時代に相摸丞となった文屋康秀(ふんや の やすひで)が住んでいた所。

ここに寺を建てなさい。

私が鎮守となりましょう」


夢から覚めた私は、すぐに頼朝様に報告しました。

その時、頼朝様は病気療養中でしたが、

「もし治ったら寺を建てる」とおっしゃられました。


しかし、その希望は叶うことなく翌年正月に亡くなられてしまい、残念に思っておりましたが、実朝さまが自ら願われて建立されますことは、やはり霊感なのでしょうか。


☆ ☆ ☆ ☆ ☆



『吾妻鏡』によると・・・

源頼朝は、1198年(建久9年)12月に稲毛重成が架けた相模川の橋の落成供養に出席し、その帰路に落馬。

それからどれほどの時を経ずして亡くなった(1212年(建暦2年)2月28日条)」

とされています。

頼朝の死因については諸説あるようですが、

三善康信源実朝に語った内容からすると、「病気が原因で落馬して死に至った」と推測できそうです。



源頼朝の最期







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