別冊『中世歴史めぐりyoritomo-japan』




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2019年10月20日日曜日

新羅三郎義光

新羅三郎義光は、河内源氏二代棟梁・源頼義の三男。

母は平直方の娘。

近江の新羅明神の前で元服したことから「新羅三郎」と称します。

※長兄の義家は石清水八幡宮で元服したことから「八幡太郎」、次兄の義綱は賀茂神社で元服したことから「賀茂次郎」と呼ばれました。


新羅善神堂

新羅善神堂は、園城寺(三井寺)の北院の鎮守神・新羅明神像(国宝)が祀られています。


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弓馬に優れていたという義光。

陸奥で兄義家の苦戦を聞くと、検非違使の職を辞して参陣し、奥州の争乱を鎮めたことで知られています(後三年の役)。

また、笙の名手としても知られ、陸奥に赴く途中の足柄山で、豊原時秋に秘曲を伝授したのだとか・・・。


八雲神社

鎌倉大町の八雲神社は、義家の救援に駆けつける途中の義光が、祇園八坂社を勧請したのだと伝えられています。


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後三年の役後は、東国に勢力を拡大。

常陸の佐竹氏、甲斐の武田氏、信濃の小笠原氏は、義光を祖としています。

兄義家の死後、河内源氏の棟梁となった甥の義忠を暗殺した黒幕ともいわれますが、詳細は不明。

1127年(大治2年)10月20日、園城寺で死去。


新羅三郎義光の墓



園城寺






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