浮絵 源頼朝公 鎌倉鶴ケ岡ニテ鶴を放ツ図
1187年(文治3年)8月15日、源頼朝は鶴岡八幡宮で放生会を執り行います。
これが現在の例大祭の始まりなのだといわれています。
「放生会」とは、仏教の殺生を禁じる思想に基づくもので、魚や鳥などを山野に放ち、善根(よい報いを招くもととなる行為)を施すという儀式です。
毎年8月15日に行われていた鶴岡八幡宮の放生会では、源平池(放生池)に鯉などを放ち、善業を積むという意味合いが込められていたといいます。
源頼朝自らが由比ヶ浜に赴き、千羽鶴を放生したともいわれています。
上の絵は、江戸時代後期の浮世絵師・雪嶠の作品で、源頼朝の鶴の放生の様子を描いたもの(藤沢浮世絵館HPより)。
大日本名将鑑 右大将源頼朝
この絵は、幕末から明治前期にかけて活動した浮世絵師・月岡芳年の作品(東京都立図書館HPより)。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
~桟敷の尼の伝説~
「桟敷」(さじき)とは、源頼朝が由比ヶ浜で行った「千羽鶴の放生会」を観覧するために設けられた展望台のこと。
その展望台は常栄寺の裏山にあったのだとか。
そして、頼朝の旧跡を管理していたのが桟敷の尼。
1271年(文永8年)9月12日、尼は、裸馬に乗せられて龍ノ口刑場へと護送される日蓮に「胡麻のぼたもち」を捧げたところ、奇跡的に処刑を免れたのだと伝えられています。
参考までに、桟敷の尼が生まれたのは、源頼朝が鶴岡八幡宮の放生会を始めた1187年(文治3年)なのだといいます。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆