『吾妻鏡』によると、1223年(貞応2年)7月9日、鎌倉では、薬師堂(現在の覚園寺)の谷に住んでいた浄密という僧の住まいの前庭で、優曇華(うどんげ)の花が咲いてると噂が流れました。
鎌倉中の男女が見物したくて群れ集まってきたそうです。
北条政子は、遠藤左近将監為俊を遣わしますが、その報告は芭蕉の花ではないかというものだったそうです。
※優曇華は三千年に一度花が咲くという伝説の植物。
このときの様子は『北条九代記』にも書かれています。
優曇華の花が咲いたという薬師堂の谷には、おびただしい数の見物人が集まったようです。
政子は「珍しい花がそう簡単に咲くものか?」と疑問に思い、近弘上人を呼んで優曇華について尋ねます。
近弘上人の説明によると・・・
人間がこの世に生まれて八万年経つと須弥の四大洲を領有する「転輪聖王」が出現して、国は豊かになり、人々は繁栄し、五穀は耕さなくても育ち、衣類も樹木の枝から現われるのだとか。
※須弥は仏教の世界観で中央に聳える山
※四大洲は須弥山の四方にある四つの島
そして、優曇華の花は、開花期は短く、引潮のときに咲いて満潮になると散ってしまう花で、転輪聖王が須弥の四大洲を巡ると、須弥山のある大海の浜辺の黄金の砂の上に三千年を待って咲き出すのだとか。
この話を聞いた政子は「その優曇華の花とはどんな形ですか?木ですか?草ですか?」と尋ねます。
言葉につまった近弘上人は「そこまでは覚えていません」と言って帰ってしまったそうです。
居合せた者たちは「お粗末な学者ですなぁ」と笑い合ったのだとか。
北鎌倉の浄智寺の仏殿は「曇華殿」と呼ばれます。
この曇華は優曇華のことなのだそうです。
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