別冊『中世歴史めぐりyoritomo-japan』




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2022年6月22日水曜日

妻の死と出家と橋供養と頼朝の死~稲毛重成~


稲毛重成は、武蔵国稲毛(現在の川崎市)の武将。

重成の妻は北条時政の娘、北条政子北条義時の妹。

1195年(建久6年)3月の源頼朝東大寺大仏殿落慶供養に参列にも随行しました。

重成の妻が重病となったのはその帰路の事。




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『吾妻鏡』によると・・・

6月28日、美濃国の青墓に頼朝の行列が到着すると、武蔵国からの伝令が到着し、重成の妻が重病であることを伝えます。

頼朝が重成に足の速い馬を与えると、重成はすぐに飛び乗って走り出したのだといいます。

7月1日、重成が武蔵国に到着。

頼朝が重成に与えた馬は龍のようだったので三日黒と名付けられたのだとか。

7月4日、重成の妻が亡くなり、重成は出家。


広福寺
(川崎市)

妻を亡くした悲しみから出家した重成は、広福寺を氏寺とします。


7月9日、政子が喪に付すため比企能員邸へ。

7月10日、時政と義時が喪に付すため伊豆国へ。

(その他、多くの御家人が許しを得て自国へ帰ったのだそうです。)

8月9日、政子邸で行慈法眼を導師として法事が行われました。


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のちに重成は、亡き妻の供養のために相模川に橋を架け、頼朝が渡り初めを行います(1198年(建久9年)12月27日)。

『北条九代記』などによると、頼朝はその帰路に落馬し、翌年正月13日に亡くなります。


旧相模川橋脚

旧相模川橋脚は、源頼朝が渡り初めをした橋の遺構と考えられています。



稲毛重成の墓
(広福寺)







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東大寺大仏殿落慶供養


畠山重忠の乱


初代執権北条時政


二代執権北条義時


歴史めぐり源頼朝







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