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『吾妻鏡』によると・・・
5月20日午前6時頃、京都を出発。
洛中は牛車で、鳥羽からは丹後局から借りた船で進み、日中に渡辺の津に到着。
再び牛車で四天王寺に向かいます。
北条政子の牛車が並び、女官の牛車が続きます。
先陣の随兵、牛車に続く供奉人、後陣の随兵は皆騎馬でした。
正午頃に四天王寺に到着。
まずは寺門の外の念仏所に入り、続いて本尊を参拝。
灌頂堂で待っていた別当の定恵法親王に挨拶し、重宝を拝見して宿所へ帰っています。
その後、銀製で蒔絵が施された御剣を太子堂に奉納。
定恵法親王には、銀製の鞍を置き、組み緒を掛けた灰色に少し白い毛がまじった馬一頭が贈られ、寺中の僧侶には絹の布類が与えられました。
※定恵法親王は後白河法皇の皇子
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