赤間神宮に奉納された木造船。
そのむかし・・・
寿永4年(1185)春3月、源平壇ノ浦合戦あり
平家は安徳天皇とともに沈み、平家残党はまたこの地に再起を窺ううちに漁業に身をまかすに至る。
これ今に壇ノ浦漁師の始めなりと
即ち早鞆の渦潮逆巻く中を巧みに操り、一本釣に錬達し、舟中正座して崩さず、海底に沈み給える御幼帝と平家一門を弔うこと久しき慣(なら)いとぞ
近年機械船の導入に依り「倭船」も漸く姿を消す
今はこの一舟を遺すのみ
舟主の津田清、中山正夫此の由来を留めむとここに奉納、先祖の遺徳を称えむとするものなり
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