別冊『中世歴史めぐりyoritomo-japan』




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2018年1月10日水曜日

源頼朝が祀った夷神と本覚寺

源頼朝は、御所(幕府)の裏鬼門の守護神として夷神を祀りました。

それが夷三郎社で、本覚寺夷堂の始まりです。

夷三郎社は、仁王門の前辺りにあったそうです。

📎源頼朝の鎌倉幕府と鬼門を守護・鎮護した神仏


 本覚寺の仁王門


のちに、佐渡流罪を許されて鎌倉に戻った日蓮が、夷堂を拠点として活動し、日蓮ゆかりの地に日出が本覚寺を建てました。

そのときに、夷堂も本覚寺の中に移されたのだと伝えられています。


 本覚寺の本堂


本覚寺開山の日出は、室町時代の僧です。

他宗からの弾圧を受けながらも、熱心に布教活動を続けていましたが、鎌倉公方足利持氏に捕らえられてしまいます。

しかし、持氏の枕元に夷神が現れ、

「日出を殺すな」

と告げたのだといいます。

無罪放免となった日出は、持氏の力を借りて、本覚寺を建てたと伝えられています。


 本覚寺の夷堂

明治になると本覚寺夷堂は、神仏分離によって蛭子神社に合祀されました。

本覚寺の門前の夷堂橋も、「大町橋」と名を改められた時期があったといいます。

現在の夷堂は、昭和56年に再建されたものです。


 蛭子神社

 夷堂橋

夷堂橋鎌倉十橋の一つで、『新編鎌倉志』は、その名の由来を「夷三郎社があったことによる」と記しているようです。


 鎌倉えびす

夷神は、商売繁盛の神様です。

本覚寺の正月は「鎌倉えびす」で賑わいます。


本覚寺夷神

本覚寺夷神は、鎌倉江ノ島七福神の一つです。


 本覚寺






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