それが夷三郎社で、本覚寺の夷堂の始まりです。
夷三郎社は、仁王門の前辺りにあったそうです。
📎源頼朝の鎌倉幕府と鬼門を守護・鎮護した神仏
のちに、佐渡流罪を許されて鎌倉に戻った日蓮が、夷堂を拠点として活動し、日蓮ゆかりの地に日出が本覚寺を建てました。
そのときに、夷堂も本覚寺の中に移されたのだと伝えられています。
本覚寺開山の日出は、室町時代の僧です。
他宗からの弾圧を受けながらも、熱心に布教活動を続けていましたが、鎌倉公方足利持氏に捕らえられてしまいます。
しかし、持氏の枕元に夷神が現れ、
「日出を殺すな」
と告げたのだといいます。
無罪放免となった日出は、持氏の力を借りて、本覚寺を建てたと伝えられています。
明治になると本覚寺の夷堂は、神仏分離によって蛭子神社に合祀されました。
本覚寺の門前の夷堂橋も、「大町橋」と名を改められた時期があったといいます。
現在の夷堂は、昭和56年に再建されたものです。
夷堂橋は鎌倉十橋の一つで、『新編鎌倉志』は、その名の由来を「夷三郎社があったことによる」と記しているようです。
夷神は、商売繁盛の神様です。
本覚寺の正月は「鎌倉えびす」で賑わいます。
本覚寺の夷神は、鎌倉江ノ島七福神の一つです。
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京都は七福神発祥の地
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