光則寺の裏山にある土牢。
大橋太郎通貞の土牢と呼ばれています。
伝説によると・・・
豊後国の地頭をしていた大橋太郎という武将がいました。
ある時、鎌倉の源頼朝に呼び出され、謀叛の疑いで投獄されてしまいました。
豊後国の領地は没収、国に残してきた妻と男子は追放されます。
それから12年の歳月が過ぎました。
父への思いも大きくなっていた少年は、父に会うため鎌倉へ旅立ちます。
そして鶴岡八幡宮の詣でると法華経を唱えました。
その事が頼朝の耳にも入ります。
頼朝が少年を呼び寄せて話を聞くと、大橋太郎の子であることが判明します。
頼朝は、親を思う子の心に免じて大橋太郎を解放したということです。
その後、大橋太郎が豊後国に帰る途中で住み着いたの大橋村(現在の福岡県行橋市)なのだといいます。
※大橋太郎の伝説はいろいろあるようです。定説とは異なるかもしれませんがご了承願います。
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