稲村ヶ崎は新田義貞の古戦場。
(分倍河原駅前)
1333年(元弘3年)5月8日、討幕の挙兵をした新田義貞。
5月18日には、巨福呂坂、仮粧坂、極楽寺坂の三方から鎌倉を攻めます。
巨福呂坂を守るのは最後の執権・北条(赤橋)守時。
18日の明け方より始まった戦いは、65回にもおよんだと伝えられ、敗れた幕府軍は、守時をはじめとする90名以上が自刃しました。
仮粧坂を攻めたのは新田軍の主力でしたが・・・
金沢貞将の守りが固く新田軍は難渋。
極楽寺坂の守りは大仏貞直。こちらも守りは固く新田軍は難渋します。
極楽寺坂の突破が難しいと判断した新田軍の侍大将・大舘宗氏は、18日未明、稲村ヶ崎の波打ち際から鎌倉へ突入。
しかし、稲瀬川で幕府勢に包囲され、宗氏以下11人が討死しています。
仮粧坂を攻めていた新田義貞は、20日、指揮系統の失われた極楽寺坂に転戦。
聖福寺に陣を敷きます。
そして・・・
21日夜、義貞は引き潮に乗じて稲村ヶ崎を突破。
鎌倉に攻め入ります。
一方、北条高時とその一族は東勝寺に籠もりますが・・・
5月22日、高時以下870人余が自刃、鎌倉幕府は滅亡しました。
鎌倉幕府が滅亡した5月22日、宝戒寺は、北条一族を供養する徳崇大権現会が催されます。
宝戒寺は、後醍醐天皇の命によって足利尊氏が建立した寺院。
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~鎌倉アジサイ情報~
新田義貞の古戦場「稲村ヶ崎」は、あまり知られていないアジサイの名所。
海と富士とアジサイの景色が楽しめます。