金戒光明寺は浄土宗最初の寺院といわれています。
鎌倉御家人の熊谷直実は、一ノ谷の合戦で敵将平敦盛を討ち取りますが、我が子ほどの年齢の若武者の命を奪ったことに無常観を感じて出家します。
その場所が金戒光明寺だったといいます。
浄土真宗最初門
「日本の浄土宗の真のはじまりの場所」
という意味
という意味
勢至丸像
法然を訪れた熊谷直実は、御影堂横の松に鎧をかけたと伝えられています。
現在は3代目の松が植えられているようです。
極楽橋は、熊谷直実が池に架けた弓の形なのだといいます。
また、春日局が徳川秀忠室の崇源院の墓を参詣するために蓮池に橋を架けたのだとも伝えられています。
『吾妻鏡』には、1208年(承元2年)9月14日未の刻(午後2時頃)に世を去ることを発表し、その予告どおり東山の麓で「端座合掌し、高声念仏を唱え」ながら死去したと記録されています。
(文殊塔)
徳川秀忠の供養ために建立された塔。
三重塔からの景色
幕末には京都守護職に任ぜられた会津藩主・松平容保が金戒光明寺を本陣としました。
新選組発祥の地ともいわれます。
鐘楼
庫裡
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鎌倉との繋がりを求めて。