別冊『鎌倉手帳』

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2015年10月31日土曜日

源頼朝の橋供養と落馬の伝説・・・茅ヶ崎

1198年(建久9年)12月27日、源頼朝は相模川に架けられた橋の供養に出かけました。

この橋は、稲毛重成が亡き妻の供養のために架けた橋。

頼朝が渡り初めをしたそうです。


(茅ヶ崎市)

国指定史跡「旧相模川橋脚」は、1923年(大正12年)の関東大震災で浮き上がってきたもので、頼朝が渡り初めをした橋のものと考えられています。

※現在設置されているのレプリカ。


(茅ヶ崎市)

無事に橋供養を終えた頼朝でしたが、その帰り、鶴嶺八幡宮の前にさしかかると、源義経や源行家の亡霊が現れたのだといいます。

馬は棒立ちとなり頼朝は落馬。

その怪我が原因で翌年亡くなったのだと伝えられています。

鶴嶺八幡宮参道(大鳥居の傍ら)には、のちに里人が義経一族の霊を鎮めるために建てたというという弁慶塚があります。


(茅ヶ崎市)

鶴嶺八幡宮の裏手にある龍前院には10基の五輪塔が並んでいます。

頼朝の警護をしていた者10名の墓だともいわれています。

この10名は頼朝の落馬の責任をとって自刃したのだとか。


(鎌倉市)

鎌倉に武家の都を築いた源頼朝は、1199年(建久10年)正月13日に亡くなります。


鎌倉幕府の記録『吾妻鏡』は、頼朝が亡くなる前の記事が欠落しているため詳しい事はわかりませんが、1212年(建暦2年)2月28日条には、「橋供養の帰りに落馬し、程なく亡くなった」ことが記録されています。

ただ、どこで落馬したのか、何が原因だったのかは定かではありません。





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