極楽寺の千服茶臼
鎌倉の歴史において、「茶」といえば壽福寺を開いた栄西の『喫茶養生記』ということになるのかもしれませんが、庶民教化に茶の薬用性を用いたのは極楽寺の忍性だったといわれています。
極楽寺の本堂前(吉祥院)には、千腹茶臼と呼ばれた大きな茶臼があります。
この茶臼は、忍性が病人や貧民に茶を薬として服用させるために、茶をひいた臼と伝えられています。
参考までに、静岡県は茶の産地として知られていますが、静岡に茶を広めたのは京都東福寺の開山の円爾(えんに)。
宋の杭州径山から茶の種を持ち帰り、郷里の駿河国に伝えました。
円爾は、栄西の弟子で壽福寺にいた退耕行勇を師としていたそうです。