別冊『中世歴史めぐりyoritomo-japan』




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2011年11月19日土曜日

東海道藤沢宿

鎌倉時代から遊行寺(清浄光寺)の門前町として栄えてきた藤沢は、1601年(慶長6年)に東海道の宿場となりました。

1596年(慶長元年)には、徳川家康によって「藤沢御殿」が築かれ、家康も1634年(寛永11年)までに28回宿泊したといいます。


時宗総本山遊行寺の総門
黒塗の冠木門は、日本三大黒門と呼ばれています。

東海道分間延絵図 東京国立博物館蔵

中央が遊行寺。境川を挟んだ西側の小山が藤沢御殿。さらにその西側が源義経を祀る白旗神社です。


遊行寺橋
遊行寺門前の境川に掛けられた橋。
かつてこの橋を大名行列が渡ったのだといいます。
「かながわの橋100選」の一つです。

東海道五十三次「藤沢宿」
鳥居の左側が遊行寺橋、上の山が遊行寺

藤沢宿は、江の島参詣の旅人でも賑わいました。

歌川広重の東海道五十三次「藤沢宿」には、鳥居が描かれています。この鳥居が江の島道の始点となりました。

歌川広重の浮世絵
こちらの絵にも鳥居が描かれています。

(参考:江の島参詣道(遊行寺~片瀬~江の島)


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藤沢宿には、本陣と旅籠が49軒あったといいます。

飯盛女の墓

永勝寺には、藤沢宿の飯盛旅籠「小松屋」に抱えられていた飯盛女の墓が39基あります。

(参考:飯盛女の墓~藤沢:永勝寺~


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藤沢宿は、鎌倉へと向かう旅人でも賑わいました。現在でも旧鎌倉道が残されています。

鎌倉の歴史と関係の深い寺社も多くあります。


源頼朝は、藤沢に三嶋大明神を勧請しました(参考:感應院

源実朝が宋へ渡ろうとしたときに用材を伐採した所が藤沢の大鋸だったといいます(参考:船玉神社)。

源義経の首が葬られたのが白旗神社付近だったと伝えられています(参考:源義経の伝説を巡る旅)。


鎌倉手帳
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