別冊『中世歴史めぐりyoritomo-japan』




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2024年7月8日月曜日

鎌倉検定~源頼朝の鎌倉入りと大倉御所~


「源氏ゆかりの地である鎌倉を根拠地とするように源頼朝に進言したと『吾妻鏡』に書かれている人物はだれか」

答えは千葉常胤


源頼朝は、1159年(平治元年)の平治の乱平清盛に敗れ、翌年、伊豆国へ流されました。

伊豆で約20年間の流人生活を送った頼朝は・・・

1180年(治承4年)、源氏再興の挙兵をします。

石橋山の戦いで敗れてしまいますが、安房国に渡って再挙。

参陣を命じられた千葉常胤は・・・

「今の居所は、守りやすい土地ではないし、先祖の由縁の地でもない。速やかに相模国の鎌倉へ向かわれるべき」

と進言したのだといいます。



「大倉に居を構え、武士として初めて幕府を開いた人物はだれか」

答えは源頼朝


千葉常胤の進言を受け入れた源頼朝は、大軍を引き連れて鎌倉入りを果たしました。

鎌倉に入った頼朝は、先祖の源頼義が建てた鶴岡八幡宮(由比若宮)を遥拝し、亀谷の父義朝の旧蹟(壽福寺辺り)を訪れています。

頼朝は義朝の旧跡に御所を置こうと考えていたようですが、土地が狭く、岡崎義実が建てた亡き父の御堂もあったことから、大倉の地を選んだのだといいます。



(大倉御所跡)

源頼朝亡き後、大倉御所の主には、二代将軍頼家・三代将軍実朝と尼将軍と呼ばれた北条政子がなっています。





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