別冊『中世歴史めぐりyoritomo-japan』




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2011年10月20日木曜日

問注所の設置


1184年(元暦元年)10月20日、源頼朝の御所内に「問注所」が設置されました。

「問注」とは、訴訟の当事者を呼び出して対決させ、その内容を文書にすることで、問注所の執事には三善康信が命ぜられています。

『吾妻鏡』の10月20日の条には、御所の東側に設置され、「問注所」と書かれた額がかけられたことが記されています。

問注所跡碑

問注所は、頼朝の時代まで御所内にありましたが、頼朝亡き後の1199年(建久10年)4月1日、現在の御成小学校付近に移転しています。

『吾妻鏡』によれば、人々が群集し、騒ぎたて、無礼を働く者がいたため、頼朝の時代から移転が検討されていました。

熊谷直実と久下直光の土地の境界を巡っての論争では、うまく弁解が出来ない直実が西の侍所で髷を切ったという事件が発生し、以来、御所での裁判を中止して、三善善信の家を裁判の場所としてきたといいます。


問注所の執事を務めた三善康信は公家の家に生まれ、頼朝の乳母の妹を母としており、伊豆蛭ヶ小島に流されていた頼朝に京都の情勢を知らせていた人物として知られています。

鎌倉・室町期を通じて問注所の執事は三善氏が世襲しています。


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