別冊『中世歴史めぐりyoritomo-japan』




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2011年5月17日火曜日

質素倹約と北条時頼~吉田兼好:徒然草~

吉田兼好の『徒然草』には、北条時頼と大仏宣時が味噌を肴に酒を飲んだことが書かれています。

(※大仏宣時は北条貞時の時代に連署を務めた人物です。)


『前賢故実』より
(国会図書館デジタルコレクション)


ある宵、宣時のもとに時頼からの使者が来て、

「すぐ来るように」

とのことでした。

宣時は、直垂の準備がなくぐずぐずしていると、

再び使者が来て、

「夜なのだからどんな服装でもよいから早く来い。」

とのこと。

宣時がかけつけると、時頼は銚子と土器を持って出てきました。

そして、

「ひとりで酒を飲むのがさびしいので来てもらったが、これといった肴もない。何か台所から探してきてくれないか」

と頼まれました。

宣時は、土器の中に味噌が残っているのを見つけると、

時頼は、

「これでいい」

といって二人で酒を飲んだといいます。


北条執権館址

宝戒寺に建てられている石碑です。

北条時頼の館もこの辺りにあったものと思われます。


☆ ☆ ☆ ☆ ☆

北条時頼の母は、松下禅尼です。

『徒然草』には、松下禅尼が時頼に質素倹約の心を教えたことも記されています。


『前賢故実』より
(国会図書館デジタルコレクション)


ある日、時頼は母に招かれ母の家を訪れます。

すると、母は障子の切り張りをしていました。

松下禅尼の兄安達義景が、

「そのようなことは誰かにやらせます。」

というと、

「私より上手に貼れる者はいないでしょう。」

といって、障子の破れたところのみを丁寧に張っていたそうです。

それを見た義景は、

「全部張り替えた方が簡単ですし、見栄えも良いでしょう。」

というと、

「今日はわざとこうしておくのです。物は修理して使うものだということを時頼に教えるためです。」

と答えたといいます。



安達邸跡碑

甘縄神明神社に建てられた石碑です。

松下禅尼は源頼朝に仕えた安達盛長の孫にあたります。



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