勝長寿院跡
1185年(文治元年)10月24日に開堂供養が行われたといいます。
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源頼朝は、奥州藤原氏を滅ぼした翌年の1190年(建久元年)7月15日、平氏の冥福を祈るための「万灯会」を催したといいます。
おそらく、平氏だけではなく、これまでの戦いで戦死した者を敵御方の関係なく供養するものだったのではないかと思われます。
「万灯会」というのは、文字通り灯明を灯して仏を祀る法会です。
~小説『北条政子』と万灯会~
そして、この小説では・・・
万灯会の日に、政子は老婆が出会います。
そして、その老婆が「政子に首を斬られた武士の母親だった」という設定でした。
(参考:木曽塚)
大姫の母北条政子は、
「義高を討った武士(堀親家の家臣藤内光澄)を引き出し首を斬った」
と伝わっています。
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源頼朝の命令によって働い者の中には、当然、堀親家の家臣のように、誰かの犠牲になるとか、誰かの怒りを鎮めるために殺されたという者も多くいたのでしょう。
参考:梶原太刀洗水
~敵御方の供養~
敵御方に関係なく供養するということでは、1192年(建久3年)に完成したという永福寺も、奥州征伐で亡くなった兵士たちの供養のために建立されたと伝えられています。
永福寺復元図 https://www.yoritomo-japan.com/page042yofukuji.htm |
足利尊氏も元弘の乱以来の戦没者を弔うために全国に安国寺と利生塔を建てたことが知られています。
(鎌倉の安国寺跡:https://www.yoritomo-japan.com/page138ankokuji.htm)
勝長寿院跡
https://www.yoritomo-japan.com/page042shotyojyuin.htm
鎌倉手帳
(鎌倉の安国寺跡:https://www.yoritomo-japan.com/page138ankokuji.htm)
勝長寿院跡
https://www.yoritomo-japan.com/page042shotyojyuin.htm
鎌倉手帳