別冊『中世歴史めぐりyoritomo-japan』




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2011年2月9日水曜日

勝長寿院の戦没者供養~万灯会~

勝長寿院は、源頼朝が建てた源氏の菩提寺です。

勝長寿院跡
1185年(文治元年)10月24日に開堂供養が行われたといいます。

源義朝と鎌田政清(政家)の墓
頼朝は父義朝の首を探させ、1185年(文治元年)9月3日、
京から届けられた義朝と腹心鎌田政清の首を葬ったそうです。

源頼朝は、奥州藤原氏を滅ぼした翌年の1190年(建久元年)7月15日、平氏の冥福を祈るための「万灯会」を催したといいます。

おそらく、平氏だけではなく、これまでの戦いで戦死した者を敵御方の関係なく供養するものだったのではないかと思われます。

「万灯会」というのは、文字通り灯明を灯して仏を祀る法会です。


~小説『北条政子』と万灯会~

永井路子先生の『北条政子』にも、「御堂にはおびただしい灯明が献じられたうえに、軒という軒には、灯籠がかけつらねられてある。」と、その様子が描かれています。

そして、この小説では・・・

万灯会の日に、政子は老婆が出会います。

そして、その老婆が「政子に首を斬られた武士の母親だった」という設定でした。

(参考:木曽塚
源頼朝の長女大姫は、木曽義高を慕い、
義高が討たれると病気になってしまいました。
大姫の母北条政子は、
「義高を討った武士(堀親家の家臣藤内光澄)を引き出し首を斬った」
と伝わっています。

源頼朝の命令によって働い者の中には、当然、堀親家の家臣のように、誰かの犠牲になるとか、誰かの怒りを鎮めるために殺されたという者も多くいたのでしょう。

知られている事件では、梶原景時による上総介広常の暗殺も同じようなものなのかもしれません。
参考:梶原太刀洗水
~敵御方の供養~

敵御方に関係なく供養するということでは、1192年(建久3年)に完成したという永福寺も、奥州征伐で亡くなった兵士たちの供養のために建立されたと伝えられています。

永福寺復元図
https://www.yoritomo-japan.com/page042yofukuji.htm

他にも円覚寺元寇(蒙古襲来)の犠牲者を供養したものですし、

足利尊氏元弘の乱以来の戦没者を弔うために全国に安国寺と利生塔を建てたことが知られています。
(鎌倉の安国寺跡:https://www.yoritomo-japan.com/page138ankokuji.htm


勝長寿院跡
https://www.yoritomo-japan.com/page042shotyojyuin.htm
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