別冊『中世歴史めぐりyoritomo-japan』




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2010年11月7日日曜日

横大路(太鼓橋~南御門)


「横大路」は、六浦道の中の一部で大倉幕府の南門前(南御門前)の通りであると考えられています。

ただ、江戸時代以降は、太鼓橋から宝戒寺までと紹介されているようです。したがいまして、ここでは太鼓橋から南御門までを「横大路」としてご案内します。


太鼓橋
1182年(寿永2年)、若宮大路源平池の造営とともに架けられた橋です。
もとは朱塗りの橋でしたので「赤橋」と呼ばれていたようです。

鶴岡八幡宮前の交差点
鉄ノ井   宝戒寺

横小路振興会の看板
通りの街灯には「横小路振興会」と宣伝されています。
『新編相模国風土記稿』では、
太鼓橋から宝戒寺までを「横小路」として紹介されているためかと思われます。
いずれにしても、大倉幕府あるいは鶴岡八幡宮の前面を横に走る道ですので、
「大路」か「小路」かなどの名称、「どこからどこまでか」の範囲などに関係なく、
重要な道であったことは確かです。
したがいまして、横大路(又は横小路)が「どこからどこまでの道か」は、
時代によって変化していたものと考えることにしたいと思います。

鎌倉彫の後藤会
https://www.yoritomo-japan.com/sangyo/kamakurabori.htm

鶴岡八幡宮東側
横大路から鶴岡八幡宮の東鳥居へと通ずる小路です。
すぐ左側には築山稲荷社があります。
この小路は秋のヒガンバナで知られている通りです。

築山稲荷社

宝戒寺
後醍醐天皇が北条一族の菩提を弔うために、
足利尊氏に命じて建立させた寺です。
北条氏代々の執権館のあった所といわれています。
「ハギの寺」として知られている寺です。

宝戒寺前の標識
横大路は左方面です。

筋違橋
鎌倉十橋に数えられていた橋ですが、
現在は橋標と石碑が残されているだけです。
この橋は、小町大路や六浦道(路)の起点ですし、
1247年(宝治元年)に起こった宝治合戦の戦端となった場所です。

筋違橋付近はこのようにカーブしています。

西大路
この路地を入ると西御門を経て来迎寺へと通ずる西大路です。

源頼朝墓参道(南御門)
この路地を入ると源頼朝の墓です(法華堂跡)。
当初、ここを中心に左右に走る道を「横大路」と呼んだものと思われます。

岐れ道
左が鎌倉宮の参道です。
ここから先は六浦道(路)で紹介いたします。


横大路につきましては有力な説が少ないのですが、

①多くの歴史的な場面で横大路の名が出ていること、
鶴岡八幡宮、そして、メイン通りの若宮大路から派生する道であり、
③様々な重要な道に連結していなければいけないこと

等を考えると、「横」という意味をかなり大きく捉えてもいいのかもしれません。


鎌倉手帳
https://www.yoritomo-japan.com/kamakura.html



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