別冊『中世歴史めぐりyoritomo-japan』




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京都・奈良・平泉・鎌倉などの寺社・歴史・人物・伝説・文化・自然・花などの情報をお伝えします。


2023年2月11日土曜日

若宮大路で玉縄桜が咲き始めました。2023/02/11




鶴岡八幡宮の参道・若宮大路玉縄桜が咲き始めました。

玉縄桜は県立フラワーセンター大船植物園で育成された品種。



2月中旬から下旬頃に咲き始め、開花期は1ヶ月程度と長く、 ソメイヨシノが咲く頃まで楽しめます。



源氏池旗上弁財天社では河津桜も咲き始めています。



玉縄桜

鶴岡八幡宮








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鎌倉桜情報

鎌倉:梅の名所


~鎌倉原産の桜~
(京都で人気を集めた鎌倉桜)

桐ヶ谷~鎌倉原産の桜~

普賢象~鎌倉原産の桜~


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~鎌倉市の木~

ヤマザクラ

オオシマザクラ


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曽我梅林

あたみ桜

松田町の河津桜


頼朝桜まつり~鋸南町~


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京都:勧修寺~紫式部の先祖ゆかりの地・光る君へ~


勧修寺宸殿


勧修寺は、紫式部の先祖・藤原高藤(ふじわらのたかふじ)と宮道列子(みやじれっし)ゆかりの地に醍醐天皇が建てた寺。

ここには列子の父宮道弥益(みやじいやます)の邸宅がありました。

高藤は、平安前期の公卿(藤原北家冬嗣流)で列子を妻としています。


『今昔物語集』によると・・・

ある時、南山科へ鷹狩に出かけた高藤は、突然の雨にあい、宮道弥益の屋敷で雨宿り。

弥益邸に一泊することとなった高藤は、弥益の娘・列子(れっし)に一目ぼれし、一夜の契りを結びますが・・・

翌日、鷹狩から帰えると、心配して待っていた父・藤原良門に激怒され、鷹狩を禁じられてしまい、列子と会うことも連絡をとることもできずに月日が流れます。

やがて父も亡くなり、6年後になって弥益の屋敷を訪れると・・・

列子は高藤の子(女の子)を産んでいました。

心打たれた高藤は列子と結婚し、自分の屋敷に連れて帰ったのだとか・・・

この女の子は、のちに醍醐天皇の母となる胤子(いんし・たねこ)です。


『源氏物語』の光源氏と明石の君の恋の話は、身分の低い列子と貴公子・高藤の恋の話がモデルであるとされています。



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鎌倉との繋がりを求めて。
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2023年2月10日金曜日

御旗楯無 御照覧あれ~甲州市:雲峰寺・菅田天神社~


甲斐武田家では、重大な決定をするときに棟梁が家宝の「御旗」と「楯無」に誓約したのだそうです。

その時に発せられた言葉が「御旗楯無 御照覧あれ」。



「御旗」(みはた)は、河内源氏二代棟梁の源頼義が1056年(天喜4年)に後冷泉天皇より下賜されたものと伝えられる日の丸の旗。

頼義の三男で甲斐武田氏の祖新羅三郎義光から武田家に代々伝わったものといわれています。

「御旗」は、甲州市の雲峰寺に所蔵されています。



「楯無」(たてなし)は、「御旗」と同じく新羅三郎義光から武田家に相伝されてきた鎧(「源氏八領」のひとつ)。

「盾もいらないほどに頑丈」というのが名の由来なのだとか。

「楯無」は、甲州市の菅田天神社に所蔵されています。

源頼朝の父義朝が着用した鎧も「楯無」と言われますが、菅田天神社所蔵のものと同じなのだろうか、それとも・・・

参考までに、源頼朝が初陣で着用した鎧は「源太が産衣」(げんたがうぶぎぬ)。












風林火山

諏訪神号旗






☆ ☆ ☆ ☆ ☆

武田信玄の駿河侵攻と徳川家康の遠江侵攻


一言坂の戦い

二俣城の戦い


三方ヶ原の戦い


本能寺の変

伊賀越え


徳川家康


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松平信康の介錯を命じられた服部半蔵が建てた西念寺


1579年(天正7年)、徳川家康は、武田に内通していたとして正妻の築山殿を殺害し、嫡男の松平信康に切腹を命じます。

信康が遠江国の二俣城で自害する際、服部半蔵(正成)は検使に遣わされます。

信康の介錯を命じられたのは渋川四郎右衛門。

しかし、代々恩義のある主君の首に刀はあてられないとして出奔。

そのため、正成が介錯を命じられたのですが・・・

信康のいたわしい姿を見た正成は、首を打つことができず、刀を投げ捨て倒れ伏してしまったのだといいます。

結局、介錯したのは検使役だった天方通綱だったのだとか。


(東京都新宿区)


1594年(文禄3年)、正成は江戸麹町の清水谷に安養院を創建。

信康の供養塔を建てて菩提を弔いながら余生を過ごし、1596年(慶長元年)に死去。

安養院に葬られました。

西念寺は、安養院を前身とする寺院。


松平信康の供養塔


服部半蔵の墓










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清州同盟

三河一向一揆


武田信玄の駿河侵攻と徳川家康の遠江侵攻


一言坂の戦い

二俣城の戦い


三方ヶ原の戦い


本能寺の変

伊賀越え


徳川家康


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