源頼朝が創った武家政権の都「鎌倉」の歴史を中心に、関係地の伝説・文化や自然・寺社の花などの情報をお伝えします。
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別冊『中世歴史めぐりyoritomo-japan』
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2023年1月15日日曜日
徳川家康ゆかりの大長寺~鎌倉~
大長寺
は
徳川家康
ゆかりの寺。
第四世の暁誉源栄は、家康の誕生地・岡崎の
大樹寺
で修行していたことから、若い頃から家康と親交があったのだといいます。
宝蔵には、家康と父の松平広忠の位牌・家康像、北条氏康寄進という「倶利伽羅龍の図」などが安置されています。
石段の幅が広いのは、家康の駕籠が横になっても上がれるようにしたためなのだとか。
大長寺
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
2023年1月13日金曜日
豊臣秀吉の命で徳川家康が修繕した鶴岡八幡宮
1590年(天正18年)、
小田原城
を開城させた豊臣秀吉は奥州へと向かう途中で
鶴岡八幡宮
を参詣。
翌年、「鶴岡八幡宮修営目論見絵図」(修理の設計図)を作成させ、
徳川家康
に修理を命じています。
鶴岡文庫
に展示されている模型は、秀吉の「鶴岡八幡宮修営目論見絵図」をもとに作られています。
鶴岡八幡宮修営目論見絵図
豊臣秀吉が描かせた絵図です。
1591年(天正19年)5月14日、増田長盛・山中長俊・片桐直倫が作成しました。
この絵図に描かれている配置が、
北条氏綱
の天文再興時の
鶴岡八幡宮
の配置だったと考えられています。
源頼朝
によって設けられた
供僧二十五坊
は、室町時代には七坊にまで減少していましたが、徳川家康が
鶴岡八幡宮
の修理をはじめると、五院が復興されて十二院となっています。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
2023年1月12日木曜日
清見寺:家康ゆかりの寺~梶原景時の血天井:静岡市~
清見寺
は、清見関(関所)の鎮護のために建てられた仏堂が始まり。
今川氏の人質だった
徳川家康
が学んだ太原雪斎が中興した寺。
大玄関は
家康
の娘・振姫の寄進と伝えられ、天井板は清見関の古材で血痕が付いたもの。
血痕は、1200年(正治2年)正月20日、鎌倉を追放され上洛しようとした
梶原景時
と在地武士の合戦で付いたものといわれています(
梶原景時の変
)。
梵鐘は、1590年(天正18年)、豊臣秀吉が行った
小田原
征伐で伊豆の
韮山城
攻撃の際に陣鐘として使用されたのだとか。
清見寺
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
2023年1月11日水曜日
臨済寺:徳川家康が学んだ寺~静岡市~
臨済寺
は、今川氏の菩提所で臨済宗
妙心寺
派の寺院。
少年期に今川氏の人質として駿府で過ごした
徳川家康
は、臨済寺の太原雪斎のもとで学んだのだといいます。
勅東海最初禅林
臨済寺
は、
清見寺
・
宝泰寺
とともに「駿河三刹」と称されました。
山門には家康が元服式を行った
静岡浅間神社
にあった仁王像が置かれています。
臨済寺
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