別冊『中世歴史めぐりyoritomo-japan』




okadoのブログは、『中世歴史めぐりyoritomo-japan』の別冊。
京都・奈良・平泉・鎌倉などの寺社・歴史・人物・伝説・文化・自然・花などの情報をお伝えします。


2022年11月19日土曜日

北条義時と大倉薬師堂の戌神の伝説




『吾妻鏡』によると・・・

1218年(建保6年)7月8日、

この日、左近衛将軍となった将軍源実朝鶴岡八幡宮参拝に従っていた北条義時は、晩になって屋敷に戻ります。

すると・・・

休息していた義時の夢の中に、薬師如来につき従う十二神将のうちの戌神将が現れます。

そして・・・

「今年の将軍の参拝は無事であったが、来年の拝賀の日には供奉しないように」

と告げたのだといいます。


☆ ☆ ☆ ☆ ☆


夢から覚めた義時は、このお告げをどのように考えてよいか判断しかねたようですが・・・

翌日、大倉郷に御堂を建立して、薬師如来像を安置するように命じます。


これに対し、周囲の者は反対したようですが・・・

義時は、個人の負担で造営を開始したのだと伝えられています。

こうして完成した大倉薬師堂は、1218年(建保6年)12月2日に落成式が行われます。

導師は、退耕行勇

本尊の薬師如来は、運慶によって彫られたものだったと伝えられています。


同日、源実朝は右大臣に任ぜられています・・・。



(辻の薬師堂)



源実朝の暗殺

源実朝が暗殺された日

北条義時と戌神将の伝説








☆ ☆ ☆ ☆ ☆

2022年の大河ドラマ
鎌倉殿の13人

二代執権北条義時


承久の乱

北条政子の言葉~承久の乱~


北条泰時


後鳥羽上皇


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2022年11月18日金曜日

義時が泰時に語った戦の心構え~承久の乱~


(京都)



『吾妻鏡』によると、1221年(承久3年)5月22日、19万騎の兵で上洛を開始した幕府軍。

北条泰時は東海道の大将軍として出陣。


『増鏡』によると、北条義時は泰時が出陣するにあたって、泣きながらこう語ったそうです。

「本来の志のとおりに清く死ぬべきである。

人に背を見せたなら、再び親の顔を見ることはないと思え。

今を限りと思え。

賎しい身分ではあるが、この義時は、主君に対してやましい心はまったくない。

だから、無駄な死に方はするな。

心を強く持ち、己に打ち勝つことができたなら、再びこの足柄山・箱根山を越えることができるだろう」


ただ・・・

泰時は、出陣の翌日には鎌倉に戻ったのだといいます。

それは、後鳥羽上皇自ら兵を率いてきた場合の対処方法を問うため。

義時は

後鳥羽上皇に弓を引くなどあってはならないこと。

そのような場面となったら、兜を脱ぎ、弓の弦を切って、降伏するように。

そうでなく、後鳥羽上皇は都におられて、ただ軍兵だけをお遣わしなさったのであれば、命を捨てて千人が一人になるまで戦うように」

と答えたのだとか。




承久の乱

北条政子の言葉~承久の乱~


北条泰時


後鳥羽上皇


宇治川の戦い~承久の乱~







☆ ☆ ☆ ☆ ☆

2022年の大河ドラマ
鎌倉殿の13人

二代執権北条義時


特集!「鎌倉殿の13人」伊豆国編

特集!「鎌倉殿の13人」鎌倉編


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佐和山城は近江源氏・佐々木氏ゆかりの城だった。




戦国期、石田三成の居城となったことで知られる佐和山城ですが・・・

源頼朝に仕えて近江国守護となった佐々木定綱の六男・佐保時綱が築いた砦が始まりといわれています。



佐々木四兄弟







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二代執権北条義時


源実朝の暗殺


承久の乱


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2022年11月17日木曜日

鎌倉:紅葉・黄葉色づき情報!~源氏山公園~2022/11/17


イチョウも色づいてきました。

紅葉は、そろそろ第一段目が見ごろとなってきそうです。










紅葉シーズンは椿も見ごろです。







葛原岡神社

葛原岡神社のイチョウは、まだ緑。




源氏山公園の紅葉







☆ ☆ ☆ ☆ ☆

鎌倉の紅葉


鶴岡八幡宮の紅葉

源氏山公園の紅葉

旧一条恵観山荘の紅葉

本堂後庭園:北鎌倉明月院

長壽寺の特別拝観

長谷寺ライトアップ


北鎌倉の紅葉


鎌倉殿の13人


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