別冊『中世歴史めぐりyoritomo-japan』




okadoのブログは、『中世歴史めぐりyoritomo-japan』の別冊。
京都・奈良・平泉・鎌倉などの寺社・歴史・人物・伝説・文化・自然・花などの情報をお伝えします。


2022年7月10日日曜日

三田八幡神社~安達盛長ゆかりの神社~




八幡神社は厚木市三田地区の鎮守。

三田を領していたという安達盛長が鎌倉の鶴岡八幡宮を勧請して再建したと伝えられています。



神社から徒歩5分程度の所には、盛長のものと伝わる石塔があります。







安達盛長

歴史めぐり源頼朝








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2022年の大河ドラマ
鎌倉殿の13人

二代執権北条義時


特集!「鎌倉殿の13人」伊豆国編

特集!「鎌倉殿の13人」鎌倉編


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2022年7月9日土曜日

三千年に一度咲く優曇華の花~鎌倉に咲いたという伝説~


『吾妻鏡』によると、1223年(貞応2年)7月9日、鎌倉では、薬師堂(現在の覚園寺)の谷に住んでいた浄密という僧の住まいの前庭で、優曇華(うどんげ)の花が咲いてると噂が流れました。

鎌倉中の男女が見物したくて群れ集まってきたそうです。

北条政子は、遠藤左近将監為俊を遣わしますが、その報告は芭蕉の花ではないかというものだったそうです。

※優曇華は三千年に一度花が咲くという伝説の植物。


覚園寺


このときの様子は『北条九代記』にも書かれています。

優曇華の花が咲いたという薬師堂の谷には、おびただしい数の見物人が集まったようです。

政子は「珍しい花がそう簡単に咲くものか?」と疑問に思い、近弘上人を呼んで優曇華について尋ねます。

近弘上人の説明によると・・・

人間がこの世に生まれて八万年経つと須弥の四大洲を領有する「転輪聖王」が出現して、国は豊かになり、人々は繁栄し、五穀は耕さなくても育ち、衣類も樹木の枝から現われるのだとか。

※須弥は仏教の世界観で中央に聳える山

※四大洲は須弥山の四方にある四つの島


そして、優曇華の花は、開花期は短く、引潮のときに咲いて満潮になると散ってしまう花で、転輪聖王が須弥の四大洲を巡ると、須弥山のある大海の浜辺の黄金の砂の上に三千年を待って咲き出すのだとか。


この話を聞いた政子は「その優曇華の花とはどんな形ですか?木ですか?草ですか?」と尋ねます。

言葉につまった近弘上人は「そこまでは覚えていません」と言って帰ってしまったそうです。

居合せた者たちは「お粗末な学者ですなぁ」と笑い合ったのだとか。


浄智寺仏殿


北鎌倉の浄智寺の仏殿は「曇華殿」と呼ばれます。

この曇華は優曇華のことなのだそうです。


曇華殿


浄智寺








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山内荘と北条氏

北条氏をめぐる鎌倉


鎌倉五山








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白旗大明神~鶴岡八幡宮の白旗神社~


白旗神社


死後、朝廷より「白旗大明神」の神号を賜ったという源頼朝

鶴岡八幡宮の末社白旗神社は、1200年(正治2年)に北条政子が頼朝を祀るために創建したのだと伝えられています(源頼家創建とも。)。



鶴岡八幡宮


ぼんぼり祭








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2022光明寺の観蓮会




日時:7月30日(土曜日)・31日(日曜日)



◎大聖閣抹茶席
1,000円
予約制(9時・10時・11時・12時・13時・14時・15時)各回40分


◎香木とお香の香りを楽しむひと時(聞香体験)
1,000円
予約制(10時・11時・13時・14時)各回40分


◎観蓮会特別講演【浄土蓮想】
入場料 2,000円
7月30日(土)
午後4時開場/午後4時30分開演




光明寺観蓮会

光明寺のハス


光明寺







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ハス

鶴岡八幡宮のハス

中尊寺ハス


夏だ!休みだ!鎌倉だ!

鎌倉の海水浴場

夏の江ノ島

東洋のマイアミビーチ


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2022年7月7日木曜日

七夕に素麺(そうめん)を食べて・・・恋愛成就・無病息災


七夕祭


平安時代に編纂された『延喜式』には、七夕に「索餅」(さくべい)が供えられたという記述があるそうです。
索餅は中国の食べ物で、奈良時代に日本に伝えられたのだといいます。
のちに、この索餅が変化を遂げ、「素麺」(そうめん)になったのだとか・・・
文献で「素麺」が初めて確認されるのは、祗園社(八坂神社)の『祇園執行日記』(1343年(康永2年)7月7日条)のようです(いろんな説があるようです。)。


中国の伝説によると・・・
昔昔の7月7日、
ある子どもが亡くなります。
そして、その子が霊鬼となって熱病を流行らせます。
困った村人たちは、その子の好物だった索餅(さくべい)を供えることにしたそうです。
すると熱病が収まったのだといいます。
ということで・・・
7月7日に索餅を食べると無病息災で暮らせるのだと伝えられてきたようです。



素麺の原料は小麦。

七夕に素麺を食べる理由の一つには、小麦が収穫できたことへの感謝の意味もあるのだといいます。

他には、

○素麺の流れが天の川を連想させるから。

○麺が織姫のつむぐ糸を連想させるから。

などというものもあるようで・・・


参考までに、索餅は『吾妻鏡』にも登場します。
1189年(文治5年)6月3日、天台座主全玄僧正(延暦寺の貫主)の代理として法橋観性が鎌倉に下ってきました。
鶴岡八幡宮五重塔の供養の導師を勤めるためです。
源頼朝は、佐々木高綱に命じて、前もって旅館と定めていた八田知家の屋敷に案内させます。
そして、三浦義村を遣わして菓子と索餅を贈っています。





全国乾麺協同組合連合会では、7月7日を「そうめんの日」としているそうです。



七夕祭



祇園祭


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2022年7月6日水曜日

石山寺と中原親能・亀谷禅尼


石山寺毘沙門堂


『石山寺縁起』によると・・・

建久の頃、源頼朝に山城国和束の反乱を鎮めるよう命じられた中原親能は、石山寺で祈願。

すると毘沙門天が現れ、その加護によって反乱を鎮圧できたのだといいます。

親能は、その恩に報いるため、石山寺に勝南院を建立したのだそうです。



石山寺宝篋印塔


亀谷禅尼は中原親能の妻。

源頼朝の次女三幡の乳母を務めました。

剃髪後に石山寺に住して宝塔院を建立し、本尊の大日如来の胎内に頼朝の髪を収めて日々勤行したのだといいます。


中原親能


石山寺







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鎌倉との繋がりを求めて。
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