別冊『中世歴史めぐりyoritomo-japan』




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京都・奈良・平泉・鎌倉などの寺社・歴史・人物・伝説・文化・自然・花などの情報をお伝えします。


2022年4月18日月曜日

木曽義仲が焼討した法住寺殿~鎌倉殿の13人~




1183年(寿永2年)11月、源頼朝木曽義仲追討の先発として源義経を近江国へ派遣。

一方、頼朝の上洛を恐れる義仲は、後白河法皇法住寺殿を襲撃し、法皇を幽閉します。

三十三間堂は法住寺殿の一画に建立された蓮華王院の本堂。



法住寺殿は、後白河法皇の院御所

院庁内には、延暦寺の日吉社と熊野三山から新日吉社新熊野社が勧請されました。

三十三間堂には法住寺殿址の碑が建てられています。



法住寺身代わり不動明王

三十三間堂の東には、後白河法皇ゆかりの法住寺があります。

本尊の不動明王は、木曽義仲が法住寺殿を襲撃した際、後白河法皇の身代わりなったと伝えられている尊像。

法住寺合戦では天台座主(延暦寺の貫主)だった明雲が討たれますが、法皇は「不動尊が明雲となって我が身を救ってくれた」と涙をこぼしたのだと伝えられています。




木曽義仲

木曽義高

巴御前

今井兼平


後白河法皇


鎌倉との繋がりを求めて。
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上総広常の暗殺~鎌倉殿の13人第十五話~


第15話では、頼朝の挙兵に二万騎もの兵を従えて参陣し、頼朝の鎌倉入りを支えた上総広常が誅殺されました。

1183年(寿永2年)12月の事でした。

『吾妻鏡』は寿永2年が欠落しているため詳しいことは不明ですが、翌年1月に広常が玉前神社に奉納した鎧から願文が見つかり、頼朝は広常を殺してしまったことを悔やんだとされています。

一方、義経が近江国に達し、都では木曽義仲後白河法皇法住寺殿を焼討ち。

いよいよ本格的な源平の戦いが始まるようです。

そして、伊豆では八重姫がのちの北条泰時を出産。

次回は義経が活躍しそうです。



上総権介平広常公顕彰碑

『吾妻鏡』によると、

1182年(治承6年)7月、上総広常玉前神社に鎧​を奉納。

そこには、源頼朝の祈願成就と東国泰平を祈った願文が結び付けてありました。



朝夷奈切通は、鎌倉と金沢(六浦)を結ぶ古道。

鎌倉側の入口付近には、上総広常の屋敷があったのだと伝えられています。



朝夷奈切通にある梶原太刀洗水は、上総広常を暗殺した梶原景時が太刀の血のりを洗い流したという伝説の水。




朝比奈のバス通りにある五輪塔(上総介塔)は、上総介広常の墓といわれています。




上総広常

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2022年4月17日日曜日

上総広常の屋敷は鎌倉七口のひとつ朝夷奈切通付近にあった!




朝夷奈切通は、鎌倉と金沢(六浦)を結ぶ古道。

鎌倉側の入口付近には、1180年(治承4年)、源頼朝の挙兵に二万の大軍を率いて参陣した上総広常の屋敷があったのだと伝えられています。

この年の12月、源頼朝が新造の御所に入御する際に行われた「御移徒の儀」は上総広常邸を出発しました。




朝夷奈切通の入口にある「朝比奈の滝」

「三郎の滝」とも呼ばれていますが、朝夷奈切通を一夜にして切り開いたという伝承が残る大力武勇の猛者朝比奈三郎義秀に因んで名付けられた名。

義秀は和田義盛の三男。

母は巴御前という伝承も。




朝夷奈切通を整備したのは三代執権の北条泰時

鎌倉には塩田がなかったため、六浦から塩を運ぶ必要がありました。









鎌倉の古道


上総広常

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