別冊『中世歴史めぐりyoritomo-japan』




okadoのブログは、『中世歴史めぐりyoritomo-japan』の別冊。
京都・奈良・平泉・鎌倉などの寺社・歴史・人物・伝説・文化・自然・花などの情報をお伝えします。


2021年8月18日水曜日

安産祈願のおんめさま~鎌倉:大巧寺~


大巧寺


大巧寺は、安産祈願の寺として知られる日蓮宗の寺院。

「おんめさま」と呼ばれますが・・・

5世の日棟は、難産で死んだ秋山勘解由の妻の霊魂を鎮めるため、「産女霊神」として奉ったのだそうです。

「産女(うぶめ)」が転訛して「おんめ」になったのだとか。


参考までに、我が国では妊娠5ヶ月目の最初の戌の日に安産を祈願する風習があるそうです。



源頼朝軍評定旧址

もともとは十二所の梶原景時屋敷内にあった「大行寺」という真言宗の寺で、源頼朝が戦評定を行い大勝を収めたことから、「大巧寺」と改められたのだといいます。







☆ ☆ ☆ ☆ ☆

鶴岡八幡宮例大祭
9月14日~16日


鶴岡八幡宮神幸祭

流鏑馬

☆ ☆ ☆ ☆ ☆

2022年の大河ドラマ
鎌倉殿の13人


二代執権北条義時


宿老13人の合議制


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流鏑馬神事~甲斐源氏に伝えられた弓馬の礼~


弓馬の礼は、896年(寛平8年)、宇多天皇に命じられた源能有が制定。

能有は、これを貞純親王に伝えます。

そして、貞純親王の子で清和源氏の始祖六孫王経基に伝承され、清和源氏が相伝するようになったといわれています。

経基→満仲→頼信→頼義義家と相伝された弓馬の技術は、義家の弟義光によって甲斐の武田家・小笠原家に伝えられました。



武田流・流鏑馬


武田流流鏑馬は、武田信光を祖とする安芸武田家に伝えられた弓馬術。

信光は甲斐源氏5代当主。

父は武田氏初代の信義

源頼朝に仕えて活躍し、小笠原長清・海野幸氏・望月重隆とともに弓馬四天王と呼ばれました。

『吾妻鏡』によると

信光は、鶴岡八幡宮流鏑馬の起源となる1187年(文治3年)8月15日の放生会で射手に選ばれています。

1193年(建久4年)8月16日の流鏑馬では、弓馬四天王がそろって射手に選ばれました。

頼朝亡き後も活躍し、1221年(承久3年)の承久の乱では、東山道の大将軍として兵を率い、乱後には安芸国守護に任じられました。

※安芸国守護に任じられた時期には諸説あるようです。



小笠原流・流鏑馬


鶴岡八幡宮例大祭で奉納される小笠原流流鏑馬は、小笠原長清を祖とする小笠原家に伝えられた武家礼法。

長清は、高倉天皇の下で滝口武者として活躍した甲斐源氏・加賀美遠光の次男。

母は杉本義宗の娘(和田義盛の娘という説も。)。

妻は上総広常の娘。

甲斐国巨摩郡小笠原郷を相続し、高倉天皇から小笠原の姓を賜りました。



武田流流鏑馬

小笠原流流鏑馬


鶴岡八幡宮

鶴岡八幡宮例大祭







☆ ☆ ☆ ☆ ☆

2022年の大河ドラマ
鎌倉殿の13人


二代執権北条義時


頼朝は弓矢の達人だった・・・


義時は弓馬の達人だった・・・



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2021年8月17日火曜日

源頼朝挙兵之碑~伊豆の国市:守山八幡宮~




源頼朝治承四年(一一 八〇)八月十五日守山八幡宮に平家追討を祈願して挙兵。

夜陰、源氏重忠の軍兵数十騎、山木判官平兼隆を襲い討つ。

其の間、頼朝遥かに山木館の火煙を望み悲願の達成を悦ぶ

蓋し鎌倉幕府草創の礎はここに於て成ると。

故に記して建碑の所以とする。




(香山寺)



守山八幡宮は、北条の里の中心にある守山の中腹に鎮座する神社。



北条の里~頼朝・時政・政子めぐり~


源頼朝配流の地・北条氏発祥の地


山木館襲撃~源頼朝の挙兵~







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伊豆・箱根

歴史めぐり源頼朝

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2022年の大河ドラマ
鎌倉殿の13人


二代執権北条義時


宿老13人の合議制


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2021年8月16日月曜日

後醍醐天皇の崩御


1333年(元弘3年)、鎌倉幕府を滅ぼして天皇親政を開始した後醍醐天皇(建武の新政)。

しかし、1336年(延元元年)、足利尊氏が光明天皇を擁立して室町幕府を開いたことで建武の新政は崩壊。

後醍醐天皇吉野に退いて南朝を興しましたが、1339年(延元4年 / 暦応2年)8月16日、還御することなく崩御(宝算52)。


後醍醐天皇塔尾陵


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後醍醐天皇導きの稲荷

吉野に行幸する後醍醐天皇を導いてくれた稲荷神。



吉野へ行幸した後醍醐天皇は、吉水院(吉水神社)に行宮を設けて居所としました。


如意輪寺
如意輪寺後醍醐天皇御霊殿

如意輪寺は、後醍醐天皇の勅願寺と定められた寺。



吉野山は、後醍醐天皇の皇子大塔宮護良親王のゆかりの地でもあります。



吉野山








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鎌倉との繋がりを求めて。
奈良・京都

源義経をめぐる京都

歴史めぐり源頼朝


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「鎌倉検定」で「鎌倉殿の13人」~文覚~


源頼朝に平家打倒の挙兵を勧めた文覚が開山と伝えられる( ① )寺には平氏滅亡の折りに( ② )が最後まで持っていたと伝えられる平氏の赤旗が保存されている。
(第10回鎌倉検定試験1級)


平宗盛は、壇ノ浦の戦いで捕えられて鎌倉に送られてきました。

その時に所持していたのが、補陀洛寺に残されている平家の赤旗なのだとか・・・

補陀洛寺は、源頼朝の祈願所として創建された寺。

開山は、伊豆国で頼朝に挙兵を勧めたという文覚

文覚は、北面の武士として鳥羽上皇に仕えていましたが、源渡の妻袈裟御前に懸想し、誤って殺してしまったことから出家。

その後、後白河法皇神護寺再興を強訴して伊豆国に流され、蛭ヶ小島に流されていた頼朝と出会ったのだといいます。


補陀洛寺

平家の赤旗


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大御堂橋辺りを流れる滑川は、古くは何と呼ばれていたか。
(第11回鎌倉検定試験3級)

1 太刀洗川
2 胡桃川
3 坐禅川
4 閻魔川


大御堂橋の付近には、文覚の屋敷があったことから、坐禅川と呼ばれていました。




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成就院と補陀洛寺には、ある僧の荒行の様子を表した独特の表情が印象的な瓜二つの像があるが、その僧はだれか。
(第3回鎌倉検定試験2級)


成就院の本堂前には「文覚上人荒行像」の模造が置かれています。

補陀洛寺成就院の文覚像は、横浜の証菩提寺の像を模刻したものと考えられています。


文覚上人荒行像



文覚


源頼朝配流の地・北条氏発祥の地







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2022年の大河ドラマ
鎌倉殿の13人


鎌倉検定


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