別冊『中世歴史めぐりyoritomo-japan』




okadoのブログは、『中世歴史めぐりyoritomo-japan』の別冊。
京都・奈良・平泉・鎌倉などの寺社・歴史・人物・伝説・文化・自然・花などの情報をお伝えします。


2024年4月19日金曜日

越前和紙で作られた紫式部の越前下向行列~紫ゆかりの館~


「紫ゆかりの館」は、 紫式部が青春時代を過ごした越前武生に2021年オープンした資料館。




館内には、紫式部越前下向行列の模型が置かれています。



模型の人形・馬・調度などは越前和紙で作られています。









紫式部と越前国


紫式部の越前下向


琵琶湖で紫式部・源氏物語


紫きぶ七橋


光る君へ 越前 大河ドラマ館


紫式部・源氏物語・光源氏ゆかりの地めぐり~光る君へ~









☆ ☆ ☆ ☆ ☆


紫式部


源氏物語

光源氏


紫式部の京都

平安宮 源氏物語ゆかりの地

源氏物語 須磨・明石

宇治十帖


紫式部年表


藤原道長

藤原彰子


清少納言


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唐崎社紅葉橋遙拝所~斎王の禊の社・下鴨神社~



唐崎社は、賀茂斎王が退下した際、解齋(お祓い)のために参拝していた社。

現在は井上社に合祀されています。


賀茂斎王は、賀茂神社(上賀茂神社下鴨神社)に巫女として奉仕した未婚の内親王または女王(親王の娘)。

斎王が奉仕していた時代の賀茂祭(葵祭)は、斎王が主宰していたのだといいます。


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上賀茂神社


下鴨神社



葵祭


玉依媛命と賀茂別雷大神~賀茂神社由来物語と葵祭~


紫式部・源氏物語・光源氏ゆかりの地めぐり~光る君へ~










☆ ☆ ☆ ☆ ☆


賀茂祭に供奉した大江広元

四代将軍九条頼経、賀茂祭を見物する!


『源氏物語』~葵の巻~


賀茂祭の還御の行列「いとをかし」



埒が明く・・・埒が明かない・・・


落馬してしまった清少納言の父清原元輔


賀茂祭の連歌対決


藤花の宴



紫式部


清少納言


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2024年4月18日木曜日

開山750年の鎌倉:光則寺




光則寺は、五代執権北条時頼の家臣宿谷光則の自邸跡。



宿谷光則の墓


1260年(文応元年)、日蓮は、長谷にあった宿谷光則の屋敷を訪れて、政治や宗教のあるべき姿を著した『立正安国論』北条時頼に渡してくれるよう光則に依頼します。

『立正安国論』は光則によって時頼に提出されますが、日蓮の献策は受け入れられませんでした。

その後、多くの弾圧を受けながらも、世の中の正道を説き続けた日蓮は、1271年(文永8年)9月12日に逮捕され佐渡流罪となります。

その時、弟子の日朗も捕らえられ、光則がその監視の任に当たることになりました。


日朗の土牢

捕らえられた日朗は、光則寺裏山に残されている土牢に幽閉されたのだと伝えられています。


土牢御書の碑


土牢の前には、日蓮が、幽閉されている日朗に書いた手紙の碑が建てられています。

佐渡流罪となった日蓮は、弟子の日朗の身を案じて手紙を書いたといいます。

その手紙が『土牢御書』と呼ばれているものです。


『土牢御書』には、牢を出たら佐渡に遊びに来るように書かれています。

日朗は、日蓮の佐渡流罪中、8度にわたって佐渡を訪れたといいます。


1274年(文永11年)2月14日、執権北条時宗は日蓮の赦免を決定します。

赦免状を携えて佐渡に渡ったのも日朗でした。


日蓮が赦免された年、日朗の監視役をしていた宿谷光則が自邸を提供し寺としています。

それが現在の光則寺です。

開山は日朗。

光則は、弟子の身を案ずる日蓮に感動して帰依したのだと伝わっています。



光則寺



長谷の市

4月21日、長谷寺をメイン会場とする「かまくら長谷の市」が開催されます。

光則寺門前は朝市の会場となります。


光則寺のヤマアジサイ

GWの頃にはヤマアジサイが咲き始めると思います。


日本の自生アジサイ展








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鎌倉アジサイ特集



明月院のアジサイ

長谷寺のアジサイ

アジサイ:源氏山公園・葛原岡神社

山あじさいの小径~浄妙寺~

新緑の庭に咲くアジサイ~旧一条恵観山荘~

緑の庭に咲く白い紫陽花~旧一条恵観山荘~


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