別冊『中世歴史めぐりyoritomo-japan』




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京都・奈良・平泉・鎌倉などの寺社・歴史・人物・伝説・文化・自然・花などの情報をお伝えします。


2024年4月6日土曜日

松原客館~越前国敦賀と紫式部~




松原客館は、平安時代前期に、渤海の使節団(渤海使)を迎えるため越前国敦賀に建てられた迎賓・宿泊施設。

気比の松原付近にあったといわれています。





松原客館は、気比神宮の神官が管理していたともいわれることから、気比神宮近くにあったという説もあります。


928年(延長6年)に渤海は滅亡しますが、松原客館は渤海滅亡後も、宋の商人や官人の迎賓・宿泊施設として使用されていたようです。

紫式部の父・藤原為時は、その交渉相手として越前国司に選ばれたといわれています。





平安京の鴻臚館は、渤海使のために建てられた迎賓施設。

松原客館に滞在していた渤海使は、都からの使者に伴われ、深坂峠を越えて塩津浜から舟で琵琶湖を渡り、大津から鴻臚館に入りました。

822年(弘仁13年)に渤海国の国使が豊楽殿打毬を行ったという記録が残されています。

『源氏物語』~桐壺巻~には・・・

桐壺帝が幼い光源氏を鴻臚館に滞在していた高麗人に人相占いさせている様子が描かれています。





気比の松原は、国の名勝に指定されている白砂青松の景勝地。



紫式部の越前下向


紫式部と越前国


琵琶湖で紫式部・源氏物語



紫きぶ七橋


光る君へ 越前 大河ドラマ館


紫式部・源氏物語・光源氏ゆかりの地めぐり~光る君へ~









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紫式部


源氏物語

光源氏


紫式部の京都

平安宮 源氏物語ゆかりの地

源氏物語 須磨・明石

宇治十帖


紫式部年表


藤原道長

藤原彰子


清少納言


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石山寺~清少納言・紫式部が詣でた観音霊場~




石山寺は、聖武天皇の勅願で良弁によって開かれた観音霊場。

平安時代には石山詣が盛んに行われました。

紫式部『源氏物語』を書き始めた寺として知られ、藤原道綱母の『蜻蛉日記』・赤染衛門の『赤染衛門集』・菅原孝標女の『更級日記』にも描かれています。

清少納言は『枕草子』に「寺は石山寺・仏は如意輪観音」と書き、和泉式部は『和泉式部日記』に恋人関係にあった敦道親王との和歌のやりとりを綴っています。




紫式部は、本堂にある源氏の間『源氏物語』を書き始めたのだとか。








国宝の多宝塔源頼朝の寄進。



源頼朝と頼朝の次女三幡(乙姫)の乳母をつとめた亀谷禅尼の供養塔も。

亀谷禅尼は剃髪後に石山寺に住して宝塔院を建立。

大日如来の胎内に頼朝の髪を納めて日々勤行したのだと伝えられています。





明王院には「光る君へ びわ湖大津 大河ドラマ館」が設置されています。



世尊院では「源氏物語 恋するもののあはれ展」が開催されています。







紫式部・源氏物語・光源氏ゆかりの地めぐり~光る君へ~









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紫式部


源氏物語

光源氏


紫式部の京都

琵琶湖で紫式部・源氏物語

平安宮 源氏物語ゆかりの地

源氏物語 須磨・明石

宇治十帖


紫式部年表


藤原道長

藤原彰子


清少納言



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2024年4月5日金曜日

賀茂祭(葵祭)で選子内親王に孫を見せた道長




1010(寛弘7年)4月の賀茂祭でのこと。

一条大路の桟敷で斎王の行列を見物していた藤原道長は・・・

桟敷の前を過ぎる選子内親王に二人の孫(のちの後一条天皇後朱雀天皇)を抱えて

「宮たちを見てください」

と申し上げると、選子内親王は合図を送ったのだとか。


選子内親王は、村上天皇の第十皇女。

円融天皇花山天皇一条天皇三条天皇後一条天皇の五代にわって斎王であり続け、大斎院と称されました。




葵祭



玉依媛命と賀茂別雷大神~賀茂神社由来物語と葵祭~










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埒が明く・・・埒が明かない・・・



『源氏物語』~葵の巻~


賀茂祭の還御の行列「いとをかし」


賀茂祭に供奉した大江広元

四代将軍九条頼経、賀茂祭を見物する!



落馬してしまった清少納言の父清原元輔


賀茂祭の連歌対決


藤花の宴


堅田供御人鮒奉献奉告祭


紫式部


清少納言


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